福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

思わぬ完成度 マタイ東京公演

2016-02-18 23:45:17 | コーラス、オーケストラ
この2日間、病院に出かけた以外は成田の宿籠もり。近所にディスクユニオンもなく、自ずと1月30日のマタイ東京公演の録音を繰り返し聴くこととなった。

アマチュア・コーラスの場合、本番と録音の印象の異なるケースが多い。マイクがコーラスの技術的な瑕疵に敏感だからで、会場では気にならなかった発声、ピッチ、発音の難が残酷なほどに露わにされてしまうからだ。2013年のあの人生の記念碑とも呼べる聖トーマス教会に於ける「ロ短調ミサ」ですら、録音で聴くと耳を覆いたくなる場面が少なからずある。

というわけで、今回の「マタイ」も些か心配しながら聴いたのだが、思いのほか落胆する場面はなかった。もちろん、自分が指導しているのだから、未だ課題山積なことも、どこが拙いのかも承知の上なのだが、この録音ではそうした弱みがかなり薄まって、気にならない程度にまでなっている。

本番の神聖な空気の中で、本来の自分たち以上の力が出せたからでもあろうし、素晴らしいオーケストラに力を貰ったためでもあろうし、わが指揮が高みに導いたのだとも言えるだろう。神のご加護もあったのか??
もっとも、声楽の難易度として、マタイよりロ短調ミサのほうが、遥かに高いという考慮も必要だろう。

ライプツィヒ・ツアーに参加するのは、東京公演130人中の70人弱。60人もの方がお留守番となる。優れたソリスト陣、オーケストラともども、このままの陣容でライプツィヒに乗り込みたい気がする。それほど、見事なパフォーマンスでなのである。もっとも、2/13~14の最終合宿では、より鮮明に技術的・精神的課題が浮き彫りとなり、苛烈なレッスンとはなったのだが・・。

それともうひとつ。
少し前に「マタイの186分9秒」と書いたけれど、録音を聴きながら、これが違っていたことに気付いた。あの合計タイムは全部で68あるトラックの音の頭から尻までしかカウントされていない。つまり、あの日のステージにあった曲間の呼吸や余韻などがカットされていたのである。いま、その曲間の復活をエンジニアにお願いしたところ。というわけで、完成品はあと数分長いものとなるであろう。



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復活 ~ 明日旅立ち

2016-02-18 19:20:15 | コーラス、オーケストラ


丸2日間、成田の宿にて休養。
気力、体力ともに回復し、明日のフライトにてライプツィヒに向かうことが出来そうである。

無理を重ねる → エネルギーを使い果たす → 発熱・気管支炎

というパターンは、これまでも何度かあったのだが、そろそろ懲りないといけない。もう若くはない。しかも、大事なお務めの前であり、タイミングによっては公演に影響するところであった。以後の自分への戒めとしよう。

急なキャンセルからエムセックにはご迷惑をおかけした。フライトの条件も悪くなってしまったが、向こうに着いてしまえば同じだ。バッハを心の杖に長いフライトを乗り切ろう。

写真は団員Hさんに現地のご友人から送られた「マタイ」公演のチラシとチケット。チラシに千羽鶴があしらわれているのは、2013年「ロ短調ミサ」公演の際、団員一堂が折り、エムセック・スタッフの束ねた鶴を、わたしがバッハの墓前に捧げたことを記念するもの。現地の皆さんが憶えていてくれていることに感激する。

コーラスも、わたしの指揮も、前回よりは各段の進歩を遂げている筈であり、ライプツィヒの聴衆の心に何かを残す演奏となることであろう。

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