福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

来て良かった! チョン・キョンファ大阪公演

2015-04-20 23:05:35 | コンサート


18日(土)の名古屋公演につづき、チョン・キョンファの大阪公演を聴いた。ちょうど、その間の19日に大阪フィル合唱団のレッスンがあったため、1日滞在をのばして聴くことにしたのだ。

プログラムは全く同じ。
正直、名古屋公演を聴き終えたとき、「大阪公演の切符を買ったのは早まったか?」と思わないでもなかった。しかし、今宵は聴きにきて本当に良かった。

プログラム冒頭のベートーヴェン「スプリング」から、名古屋に較べて全く音が違った。否、袖からステージ中央への歩みから違っていたといってよい。名古屋公演の後半以降、チョン・キョンファの魂に灯った焔がそのまま持続しているのを感じたのだ。

技術的には彼女の全盛期と較べるべきではないし、今もっと上手い若手はごまんといるだろう。しかし、魂の自由さと言うのだろうか、ベートーヴェンの霊と対話をしているような趣は、なんとも得難い美しい体験であった。

ヴェーベルンは今宵の白眉。名古屋以上の緊張感の漲るビアニシモに魅せられた。

アンコールも同じ3曲であったが、演奏順はエルガーとブラームスが入れ替わっていた。ブラームスは名古屋のスリリングさには及ばなかったものの、エルガーはいつまでも続いて欲しいと願わずにおれない心の音楽。ああ幸せだった。

今宵の感銘は、名古屋公演を聴いたことで一層深いものとなった。とともに、彼女の30代の頃の女豹のようなステージ姿と今の彼女を重ね合わすことで、人生を思わせるズシリと重みのあるものとなった。



ところで、久しぶりのザ・シンフォニーホール。ホール内を散策していたら朝比奈先生とお会いできた。良い写真だなぁ。
かつて、オープン直後のこのホールで聴いたブラームス「1番」やベートーヴェン「エロイカ」の響きが脳内に蘇った。


大阪のディープなランチ

2015-04-20 11:52:11 | グルメ



大阪淀屋橋。どこで昼飯を食おうか? とスマホで検索し見当をつけた信州蕎麦の店に向かう途中、この店構えに引き込まれてしまった。この誘惑には勝てる由もない。



牛すき丼 + だし汁入り明石焼き
税込み 800円也。

いやあ、旨い。満足。
BGMが、はっぴいえんどの「風をあつめて」、ポールの「Pipes OF Peace」というのも良かった。

その後、このオフィスビル街の谷間を散策してみたが、食べてみたいランチの波状攻撃! 何泊しても足りそうにない。さすが、大阪の食はディープだ。移住したくなるほどに。



さて、いまは、部屋の掃除が終わるまでコーヒーで時間潰し。SHATTLE'S BEST COFFEEなるチェーン店、東京にあったっけ? 完全分煙でないのが玉に瑕だが、まあまあ落ち着けた。

流石に正午を過ぎると、どこも混雑。11時半の出動は大正解であった。


チョン・キョンファ ヴァイオリン・リサイタル

2015-04-18 23:16:04 | コンサート


チョン・キョンファ リサイタル @愛知県芸術劇場コンサートホール。

ベートーヴェンの3曲では、色々思うところがあったけど、ヴェーベルン「4つの小品op.7」の静謐の美には心奪われました。
さらに、アンコールは、往年を彷彿とさせる溜め息もの。ブラームスは、ピアニストが付いていけないほどスリリング。なお、バッハは、伴奏付きのソナタです。




いざ、名古屋へ

2015-04-18 13:47:33 | コンサート


ヴォイス2001主催のバッハ「マタイ受難曲」@本厚木レッスンを終え、いざ名古屋へ。

今夕、懐かしの愛知県芸術劇場でチョン・キョンファのリサイタルを聴くのだ。明日大阪での仕事があるために出来る荒業。東京公演とスケジュールが合わなかったため。

チョン・キョンファのリサイタルを聴くのは音大生時代以来だから、実に約30年ぶり。どんなかなぁ?

いまは、2時間に1本の小田原停車のひかり号を待ちながらのノンビリひとりランチ。箱根ベーカリーの桜えびピザ、香りといい舌触りといい絶品。サイズが小さかったので、ホットドッグを追加したところ、これまた美味。



さあ、そろそろホームに向かうか。あとは、名古屋駅で寝過ごさないように気を付けなくては!

ペルルミュテールのラヴェル「鏡」「夜のガスパール」を仏パテ盤で聴く

2015-04-17 23:55:19 | レコード、オーディオ





東京ジングフェラインの充実した「マタイ」レッスンから帰宅し、朝からドップリ浸かったバッハから気分転換しようと、ラヴェルのピアノ曲を聴くことにした。

選ぶは、届けられたばかりのヴラド・ペルルミュテールによるラヴェル旧ピアノ作品全集からの1枚だ。ジャケットも洒落ているし、クリーム色の下地に緑文字のレーベルも味わい深い。

それにしても、素晴らしい音楽であり演奏だ。

モノーラルの最盛期の録音だけに、ペルルミュテールの奏でる音たちが宝石のように、煌めいている。この楽器と直接語らうような醍醐味はモノーラル録音特有のもので、ステレオ録音では味わえるものではない。

作曲者ラヴェルの門を叩き、全作品への個人レッスンを受けたというだけに、ペルルミュテールのタッチは確信に満ち、造型も知的で揺るぎがない。ニムバス・レーベルに入れた新全集も良いのだけど、この旧盤の魅惑は桁が違うようだ。

残る2枚も聴きたく=買いたく=揃えたくなってしまうのがコレクターの悪いクセだな。



ヴラド・ペルルミュテール(pf) ラヴェル・ピアノ作品全集より「鏡」「夜のガスパール」

仏Pathe VOX VP370


フリッツ・ヴェルナーの「マタイ受難曲」 ~ 高貴な日常の祈り

2015-04-17 09:43:29 | レコード、オーディオ

 今年は、来年3月1日の聖トーマス教会公演を目指しての「マタイ受難曲」の年、ということで、遂に手に入れてしまった。

名盤、名録音の誉れ高いフリッツ・ヴェルナー指揮の仏エラート・オリジナル・アナログ盤(4枚組)である。

かつて、モノーラル・プレスで所有していたが、こちらは音質、盤質共にいまひとつで手放し、ステレオでは、米ウエストミンスター・プレス、およびCDに甘んじていたものである。

1958年の録音と言うことで、リヒター旧盤と較べられることの多い演奏だが、わたしの好みは断然ヴェルナーなのである。

なんでだろうな・・・。

リヒターのロマン的なアプローチが感覚的に自分と合わないとしか言いようがない。

その点、ヴェルナーの音楽は、とても身近で、温かく、深く、心を慰め、癒やしてくれるのである。

録音がやけに美しいと思って調べてみたら、エンジニアは名匠シャルラン! 迸る音の鮮度、音場の深さと広がり、各セクション間のバランス感覚、シャルランによる音づくりの魔術はCDで味わえるものではないことを痛感。

コーラスは、近年の精度の高さを望むべくはないのだけど、その大らかな歌声が日常の祈りを思わせて感動を呼ぶ。これはアマチュア・コーラスを指導するわたしにひとつの指針となる。 それは、ひとりとして己が声を誇示することのない独唱陣にも言えることで、そのバッハへの飾りなき真っ直ぐな献身が我が胸を打つ。 モダン楽器による「マタイ」では、仰ぎ見るように巨大で孤高のクレンペラー盤とともに、一生の宝となる演奏・録音であることは間違いない。

ヴァイオリンにバルヒェット、フルートに、ランパル&ラリュー、オーボエ(コール・アングレ)にピエルロ、シャンボン、オルガンにアランという錚々たる顔ぶれが、この演奏に花を添えるとともに、根幹を支えている。



フリッツ・ヴェルナー指揮  

プフォルツハイム室内管弦楽団 ハイルブロン・ハインリヒ・シュッツ合唱団、ハイルブロン・ロベルト・マイヤー少年合唱団

ヘルムート・クレプス(福音史家、Ten)、フランツ・ケルヒ(イエス、B)、アグネス・ギーベル(S)
レナーテ・ギュンター(A)、ヘルマン・ヴェルダーマン(B)

録音: 1958年10月、ヴァインスベルク、プロテスタント教会

France Erato STE 50006-9 (4LP)

 


舌を出せ!

2015-04-15 09:11:24 | コーラス、オーケストラ


我がコーラスの皆さん。
ボイトレの神様・亀渕先生も言ってます。

「舌を出せ!」「筒になれ!」



しかし、在籍10年を越えても、まだ舌の出ない団員も少なくない。教え方がよほどマズいのか・・、まだまだ亀渕先生のご指導には及びませんねぇ。



さあ、今日からもっと本気で体操に励みましょう!

はじめての「魔女の宅急便」 ~ Kikis kleiner Lieferservice

2015-04-13 16:42:14 | レコード、オーディオ



記念すべき?4月13日。

昨年の今日は、新国立劇場でベルクのオペラ「ヴォツェック」に打ちのめされていたが、今年はひとり自宅で「魔女の宅急便」のDVDを鑑賞。しかも2回つづけて。

恥ずかしながら、宮崎アニメには奥手で「ルパン三世 カリオストロの城」を唯一の例外として、「千と千尋」以前の作品をきちんと観たことがない。即ち、これが生まれてはじめての「魔女の宅急便」である。

各方面から、日本人に生まれながら何をやってたんだと叱られそうである。

この多忙時に勉強や仕事の手を休めて、ただアニメを観るだけでは罪悪感が募るので、この度ドイツ語による吹き替えバージョンを取り寄せて観ることにした。これなら「遊びじゃない、勉強です」と自分に言い訳ができるのだ。

ドイツ語のタイトルは、"Kikis kleiner Lieferservice" 

ドイツにはクロネコヤマトの宅急便は存在しないから、「キキの小さな配達屋さん」とでも訳すべきかな??

予備知識は一切なし(って、胸を張ってはいけないところ・・・)。

ストーリーも知らないまま、いきなりドイツ語だけではハードルが高いので、初回は日本語音声+ドイツ語字幕。ひと休みする間も置かず、ドイツ語音声+ドイツ語字幕とした。

いやあ、美しかった。感動のあまり、なんども落涙しそうになったほど。我が世代としては、「ハイジ」へのオマージュの感じられるところ(貨物車の中の干し草の場面)も嬉しかった。

さて、すでに世界中の宮崎駿ファン、アニメ・ファンに語り尽くされているであろうこの作品について語る愚を犯すことはすまい。

日頃の評論癖はグッと胸の奥に仕舞い込んで、ただただ楽しみ、味わうのみだ。

オリジナルの日本語とドイツ語とでのニュアンスの違う場面も何度かあったが、それはこの際、置いておくとして・・・・。

いま取り組んでいる「マタイ受難曲」では、ユダを指すder Verräter(裏切り者)という言葉が、ここではキキから黒猫ジジに向かって語られる(旅立つ際の箒選びの場面)など、心楽しい発見もあった。

ところで、オープニングの「ルージュの伝言」とエンディングの「やさしさに包まれたなら」。

ユーミンの曲と歌声、そして日本語の響きは、ドイツの子供たちの耳にはどなんなに聴こえるのだろう?

追記 

こんなに気に入るなら、はじめから、画質の綺麗なBlu-rayディスクにしておけば良かったなあ。バラ売りの先行版だと下記のごとく、音声、字幕共にバラエティに富んでるから。

<音声>
日本語(2.0chステレオ/リニアPCM)
日本語(5.1ch/DTS-HDマスターオーディオTM(ロスレス))
英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、フィンランド語(5.1ch/ドルビーデジタル)
韓国語(2.0chステレオ/ドルビーデジタル)
ドイツ語、広東語、北京語(2.0chサラウンド/ドルビーデジタル)

<字幕>
日本語、英語吹替日本語、英語、フランス語、ドイツ語、韓国語、中国語(繁体字・広東語)、中国語(繁体字・北京語)

 


大野和士 & 都響 ベルリオーズ「レクイエム」 

2015-04-12 17:00:59 | コンサート

まずは、滅多に演奏される機会のない作品を実演で聴く機会を与えられたことに感謝。また、関係各位の労をねぎらいたい。

さて、肝心の演奏だが、マーラー「7番」で覚えた失望感を払拭するものとはならなかった。

大コーラスの他、シンバル10対、ティンパニ8対という巨大オーケストラに4つのバンダ隊が付くという、これだけの音響を聴いても、腸(はらわた)に響くことも、背中に電気の走ることもない。

これは余程のことだ。響きの質が途轍もなく浅いということだろう。

コーラスの発声も、わたしには受け入れることのできないものだ。ズバリ、彼らの歌は、日常で日本語を話す帯域を超えることはない。だから、そこに陶酔も法悦も生まれないのだ。

(もっとも、この帯域を聴く習慣のない方には問題は感じられないのかも知れない・・・)

このあたりのことは、終演直後、FB上で友人S.Fさん、K.Yさんと交わした会話を再現することで確認しておこう。

 福島 残念。大野和士のベルリオーズ「レクイエム」。面白くも可笑しくもなし。

   S.F 曲を肥大化させもしなければ矮小化もしておらず、前に流行った言葉で言えば「ありのまま」ってやつでしょうか。私は良かったと思いました。誇大妄想的なこの曲にさらに「盛る」やり方もあるとは思います。

 福島 ボクのポイントは、そこではないんですよ。

 S.F なるほど、そんな気もしておりました(笑)。

 福島 日本人演奏家の超えるべき壁の内側にある演奏だった、ということです。レコードでいえば、国内プレスのつまらない音に近い感覚かな??

 K.H 福島さんと同じ感想ですが、会場で会った知人とその友人が語ったことは、ひとつに作品の内容、ふたつに文化会館の残響の無さでした。

 福島 確かに、作品やホールにも原因はありそうですが、ロバート・ディーン・スミスが歌っている間だけ不満はなかったのです。そこに重要なヒントがあると思います。

 K.H 合唱が迫力不足でした。スミス1人の声と変わらない。

 S.F 合唱の迫力不足は感じました。あと、響きが窮屈で広がらない。

 福島 声量でなく、質なんです。日本語を話す帯域しか使われていない。実は都響の響きも同じ。ということです。

という具合に、大野和士による都響の新時代に、暗雲の到来を予感させるスタートとなってしまった。

大野の指揮を観て印象に残るのは、まずは腕の力の逞しさ。特に上腕の強靱さでもってオーケストラやコーラスを引っ張るわけだが、そこに丹田による深い呼吸が伴っていないため、オケもコーラスも鳴りが悪くなってしまうのである。今日はコーラスがあったため目立たなかったが、ヴァイオリン群の味気ない音はマーラーのときとあまり変わらなかったように思う。

これについては、上記のK.Hさんも次のように語っている。これにも同感である。

大野和士の指揮をこうして二度続けて聴くと常に力みが入っていて肝心のときにパワーを発揮できていないようにみえます。ゴルフのスイングも指揮も共通項があると思います。ゴルフでは力を入れると遠心力が働かずスイングスピードが落ち距離も伸びません。音楽でもフォルティシモを出そうとすれば、その前は力を抜いて溜めてから力を一点に集中すべきだと思うのです。もちろん基礎体力があることがベースとなりますが。常にテンションが高く抜く部分がない。窮屈。それが音楽を小さくしているようです。

東京春祭 合唱の芸術シリーズ vol.2 ベルリオーズ

《レクイエム》
~都響新時代へ、大野和士のベルリオーズ

日時:2015年4月12日(日)15:00開演(14:00開場)

場所:東京文化会館大ホール

指揮/大野和士
テノール/ロバート・ディーン・スミス
管弦楽/東京都交響楽団
合唱/東京オペラシンガーズ


という具合に、千穐楽は残念なものであったが、ヤノフスキの「ワルキューレ」、クールマンのリサイタルという至福を味わえたことで良しとしよう。