エリーザベト・クールマン メゾ・ソプラノ・リサイタル。
ヤノフスキ指揮の「ワルキューレ」公演の素晴らしいフリッカを聴いて、矢も楯もたまらず東京文化会館小ホールへと駆けつけた。座席は、舞台やや上手寄りの前から3列目。大ホールを征服するクールマンの歌唱を小ホールという空間のこんなにも間近で享受できるという至福、何という贅沢だろうか。
歌とは何か、声とは何か、歌手とは何かを教えてくれる素晴らしいステージだった。
前半はリストとワーグナー、そしてグルック(下記参照)。
リストも良いのだけれど、やはり自分の大好きなワーグナー「ヴェーゼンドンク歌曲集」からの3曲には恍惚となった。声そのものも美しいのは勿論、豊かな低声からピアニシモの高声まで、表現の振幅の大きさは驚異的である。しかし、聴く者に「声」でなく、音楽を感じさせるというのが本物の芸術家の証だ。
さらには「ワルキューレ」で、あの怖い怖い背筋の凍るようなフリッカを歌った同じ歌手が、知恵に溢れ、堂々たる威厳をもったエルザを歌うという凄み!
休憩後は、まずシューマン「女の愛と生涯」を軸に展開。
これが、ひとつの芝居のように、或いは映画のように、実に巧みに構成されていて、大きな説得力を持つものだった。
「女の愛と生涯」から歌われたのは、全8曲のうち、第1、3、6,7,8曲の5曲。出会いのときめきを歌った第1曲につづいてリスト「われ汝を愛す」が置かれることで、恋の想いにより一層の高鳴りを覚えたり、シューマン「子供の情景」から「満足」(ピアノ・ソロ)が間奏曲のように二人の愛の進展を思わせ、 さらに、永訣の前にシューベルト「子守歌」歌われることが、まるで死者の魂を慰めるようでもあり、或いは、二人の間に子供が誕生したようにも思われたりと、奥行きの深いものとなっていた。
そして、シューベルトの4曲での盤石の締めくくり。
アンコールは以下の3曲。これも溜息が出るほど聴かせた。
リスト「3人のジプシー」
「さくらさくら」(日本語歌唱 三ツ石潤司・編曲)
リスト「愛とはいかに?」
ピアノのクトロヴァッツは、ムーアやヴェルバのような端正なスタイルではない。やや饒舌で、崩しすぎのようにわたしには思えた。もう少し表現を抑え、楽曲の骨組みを明らかにしてくれた方が、シューマンやシューベルトがより生きたろうと思われる。しかし、全体に、これだけの感動はなかなかあるものではない。歌曲を聴いた、というより、オペラの一場面を聴くようでもあり、いくつもの人生を聴くようなリサイタルであった。
なお、リハーサル後の判断で、予定になかった20分の休憩の置かれたのは正解だった。この中身の濃さ・・・。そうでなければ、聴衆の集中がつづかなかっただろう。
東京・春・音楽祭 歌曲シリーズ16
■日時・会場
4.11 [土] 19:00開演(18:30開場)
東京文化会館 小ホール
■出演
メゾ・ソプラノ:エリーザベト・クールマン
ピアノ:エドゥアルド・クトロヴァッツ
■曲目
リスト:
私の歌は毒されている S289
昔、テューレに王がいた S278
ワーグナー:
《ヴェーゼンドンク歌曲集》 より
温室にて
悩み
夢
エルダの警告~逃れよ、ヴォータン(舞台祝祭劇《ラインの黄金》 より)
リスト:
私は死んだ (《愛の夢》第2番 S541-2 ) (ピアノ・ソロ)
グルック:
ああ、われエウリディーチェを失えり
(歌劇《オルフェウスとエウリディーチェ》 より)
♪休憩
リスト:
愛し合うことは素晴らしいことだろう S314
シューマン:
彼に会ってから (《女の愛と生涯》 op.42 より)
リスト:
われ汝を愛す S315
シューマン:
私にはわからない、信じられない (《女の愛と生涯》 op.42 より)
満足 (《子供の情景》 op.15 より)(ピアノ・ソロ)
やさしい友よ、あなたは見つめる (《女の愛と生涯》 op.42 より)
私の心に、私の胸に (《女の愛と生涯》 op.42 より)
シューベルト:
子守歌 D.498
シューマン:
あなたは初めての悲しみを私に与えた (《女の愛と生涯》 op.42 より)
シューベルト:
夜の曲 D.672
死と乙女 D.531
精霊の踊り D.116
小人 D.771