生命線は地下を通り、国境線は地上に蔓延る
交流会館のようなところを出て、シバレイさんのパレスチナやイラクの話を聞きにカフェに戻った。
まだ早く、二、三人程が店内でくつろいでいた。
窓辺のところで、お話をされるようにセッティングされているところのようだった。
そこからほど近くのソファに座って、飲み物を頼んだ。
それから、ぱらぱらと人が入ってくるのを、ぼんやりと眺めていた。
イスラエルが一方的にパレスチナに侵攻し、一方的に攻撃をやめたと宣言したりする中、核を持っている事によって。というよりも圧倒的な資金力と軍事力でもって、その国に、その土地に暮らす人たちを囲い込み、それがごり押しされ進められて行くという現実を見て来たであろう、シバレイさんの目や耳や身体を通して感じたものに向き合うのが、正直なところ怖かったのであるが、もうすぐ、その時間が訪れようとしていた。
自分が幼い頃体験したイランとイラクとの間で起こった戦争の記憶が、歪みながらも目の前にありありと浮かんできそうな恐怖が有ったからである。
それは、自分の苦しみを生きるだけでも、どうかしそうだという人で、ただの一方的な絶望でしかないと切り捨て、馬鹿なだけで騒ぎ立てて、人騒がせなだけで勝手に悲しんでいるんだろうというような人には共有しがたく理解しがたい事なのかもしれないし、そこまで理解しようとする人は、ほとんどいないかもしれないという事も、自分の内部で、自分の知らない他人の痛みを受け入れきれないのと同じように限りがあるのは、当たり前で、それを無理に求めている訳でもないと言いながら。
それぞれの苦しみは、それぞれで向き合うしかないということを声を大きくしなくても、どちらにしろ、それぞれ引き受けているものであり、その苦しみも形を変え、手を変え、顏を変えやってくるような代物なのであり、そんなことは、誰彼に言われなくとも分かっていると言った類いの事を言う人がいるのを、苦々しくも、白々しくも、物悲しくも、自分の中にも、他の誰かの中にも、見ているような。
自分の体験したうちに黒々と横たわったままでこびりついたまま離れようとしない、絡めとろうとつけねらう目をギラギラさせ、ぬらぬらした舌なめずりをしながら聞き耳を立てている電話会社や通信を押さえているものと連係プレイをしている盗聴魔か、人の物語った物語を後追いするように現実化して、それを預言者面をした「予告」のように見立て、あたかも言質を取ったような訳知り顏をしながら、テロを起こしている張本人に仕立て上げようとしているような顏の見えない悪ふざけを好む犯罪組織か、単なる気味の悪い愉快犯のストーカーかが、ひたひたと物陰から忍び寄るのをどこかで感じているような落ち着かない状態。
あるいはピンポイント攻撃を繰り返すうちに「戦争」に仕立て上げてしまうような、金持ち資本家連中の利権利益をむさぼる事に余念がないような「戦争」の仕組みの細部に、向き合うことに耐えられるかどうか、あるいは振り切る事は出来るのかどうかを。
いつも、どこかで考えているような心持ちなのであった。
徐にシバレイさんが入って来た。
そろそろ始まる時間であった。
~~~~~~~~~~~
シバレイさんは、まずパレスチナの現状、ガザの状況について、ぽつぽつと話し始めた。
1948年 ガザ侵攻がある前のパレスチナは今よりも広かったんですよね。
とシバレイさんは言った。
それから、第二次侵攻、第三次、第四次と度重なるにつれて、どんどん領地が狭くなって行き、1968年に今の状態になり、イスラエルの統治が布かれ国境が曖昧になっていったと言う。
バルフォア宣言において、英国は二、三枚舌外交とも言えそうなオスマン帝国との駆け引きもあいまって、線引きをしていたという事。
言語はヘブライ語で、パレスチナ語は方言のような形であるらしく、複雑な状況が言語においても微妙に浸透しているように見受けられた。
ユダヤ人の方は、母親がユダヤ人=ユダヤ民族と見なされると言う事や、ここ60年でユダヤ人=ユダヤ教徒と言われている傾向があるという事であったが、なぜ「イスラエル人」と言わないのかも疑問として残るが、「人種」としてというよりも「民族」として「言語」が何らかの影響がある為ではなかろうかというようなお話をされていた。
1948年に、パレスチナ難民のスラム街ができ、失業率4割、国連の食糧援助に頼っている状態であるが、ハマスに物資は入れないとされたと言う。
パパブッシュが選挙させ、カーターが監視し、民主的な選挙をして政権を手に入れたハマスにも関わらず、木材、建材はほとんどストップされ、認めたがらないと言う。
「オスロ合意」で、ラヴィン首相とアラファト議長の合意がなされ、ノルウェーが和平を進めていたが、ビル・クリントンがいいとこどりをしたという事も含めて、「国連決議」の方がまだ内容が良かったとも言われていた。土地の境界線、イスラエルの生存権を昔は認めていなかったが、今は認めていると言う。
「壁」ができるのは、「水源」があり、豊かな土地であるからという事。
イラク、レバノン、他のところにしかけているのは、イスラエル、亜米利加であるという部分を考えないといけない。とも言われた。
エジプトが封鎖している、国境を閉めていることも、事態に拍車をかけているようであった。
お話を聞きながら、生命線を断たれ、境界線をぶつ切りにされ、壁の中や柵の中に囲まれているのは、そこに暮らしている人たちであるとともに、そこに暮らしていないすべての人たちでもあるような気がして来た。
封鎖をかいくぐり、穴を掘る人たちも中にはいて、そのことも知られてはピンポイントで狙われて砂まみれになって亡くなった方。
シファ病院や国連の学校を攻撃されて足を失った少女。
住宅地での攻撃。
重金属のダイムやタングステン(ガンを引き起こす物質といわれている)の混じった白リン弾で焼かれた建物や土地がくすぶり続けて、中でも、アブデラボー地域への攻撃がことのほか激しかったという事。
アムネスティによると、年間30億ドルの援助の中身に含まれ、白リン弾は亜米利加から入ってきているという事。
ガザの「農場」の6割が破壊されたという事。
「工場」も破壊された事。
つまり、ほとんど働けなくするということ。
通貨はイスラエルのシュケルで、攻撃されればされるほど、イスラエルが潤うという構図。
停戦後の攻撃で、軍艦からも爆撃されたという事。
給水車が時々来るくらいで、ひとつのパンを十人で分けていたと言う事。
南部ザイツゥン地区の集団農場では48人の親族が殺され、砲撃ミサイルを打ち、イスラエルがやって来て、一カ所に集めて、又攻撃して虐殺したと言う事。
子どもの前で親の首が飛び、内臓が弾けて行ったのを見てしまった子どもたち。
~~~~~~~~~~
シバレイさんの生々しい言葉と写真に入り込み、生きたまま埋められて行くような、壁の下に穴を掘り続けているような息苦しさに、向き合うどころか、追いつめられたまま、
生命線は地下を通り、国境線は地上に蔓延る。
と、目眩が止めどもなく押し寄せてくるのをよけることもなく、考え続けていた。
(続く)
交流会館のようなところを出て、シバレイさんのパレスチナやイラクの話を聞きにカフェに戻った。
まだ早く、二、三人程が店内でくつろいでいた。
窓辺のところで、お話をされるようにセッティングされているところのようだった。
そこからほど近くのソファに座って、飲み物を頼んだ。
それから、ぱらぱらと人が入ってくるのを、ぼんやりと眺めていた。
イスラエルが一方的にパレスチナに侵攻し、一方的に攻撃をやめたと宣言したりする中、核を持っている事によって。というよりも圧倒的な資金力と軍事力でもって、その国に、その土地に暮らす人たちを囲い込み、それがごり押しされ進められて行くという現実を見て来たであろう、シバレイさんの目や耳や身体を通して感じたものに向き合うのが、正直なところ怖かったのであるが、もうすぐ、その時間が訪れようとしていた。
自分が幼い頃体験したイランとイラクとの間で起こった戦争の記憶が、歪みながらも目の前にありありと浮かんできそうな恐怖が有ったからである。
それは、自分の苦しみを生きるだけでも、どうかしそうだという人で、ただの一方的な絶望でしかないと切り捨て、馬鹿なだけで騒ぎ立てて、人騒がせなだけで勝手に悲しんでいるんだろうというような人には共有しがたく理解しがたい事なのかもしれないし、そこまで理解しようとする人は、ほとんどいないかもしれないという事も、自分の内部で、自分の知らない他人の痛みを受け入れきれないのと同じように限りがあるのは、当たり前で、それを無理に求めている訳でもないと言いながら。
それぞれの苦しみは、それぞれで向き合うしかないということを声を大きくしなくても、どちらにしろ、それぞれ引き受けているものであり、その苦しみも形を変え、手を変え、顏を変えやってくるような代物なのであり、そんなことは、誰彼に言われなくとも分かっていると言った類いの事を言う人がいるのを、苦々しくも、白々しくも、物悲しくも、自分の中にも、他の誰かの中にも、見ているような。
自分の体験したうちに黒々と横たわったままでこびりついたまま離れようとしない、絡めとろうとつけねらう目をギラギラさせ、ぬらぬらした舌なめずりをしながら聞き耳を立てている電話会社や通信を押さえているものと連係プレイをしている盗聴魔か、人の物語った物語を後追いするように現実化して、それを預言者面をした「予告」のように見立て、あたかも言質を取ったような訳知り顏をしながら、テロを起こしている張本人に仕立て上げようとしているような顏の見えない悪ふざけを好む犯罪組織か、単なる気味の悪い愉快犯のストーカーかが、ひたひたと物陰から忍び寄るのをどこかで感じているような落ち着かない状態。
あるいはピンポイント攻撃を繰り返すうちに「戦争」に仕立て上げてしまうような、金持ち資本家連中の利権利益をむさぼる事に余念がないような「戦争」の仕組みの細部に、向き合うことに耐えられるかどうか、あるいは振り切る事は出来るのかどうかを。
いつも、どこかで考えているような心持ちなのであった。
徐にシバレイさんが入って来た。
そろそろ始まる時間であった。
~~~~~~~~~~~
シバレイさんは、まずパレスチナの現状、ガザの状況について、ぽつぽつと話し始めた。
1948年 ガザ侵攻がある前のパレスチナは今よりも広かったんですよね。
とシバレイさんは言った。
それから、第二次侵攻、第三次、第四次と度重なるにつれて、どんどん領地が狭くなって行き、1968年に今の状態になり、イスラエルの統治が布かれ国境が曖昧になっていったと言う。
バルフォア宣言において、英国は二、三枚舌外交とも言えそうなオスマン帝国との駆け引きもあいまって、線引きをしていたという事。
言語はヘブライ語で、パレスチナ語は方言のような形であるらしく、複雑な状況が言語においても微妙に浸透しているように見受けられた。
ユダヤ人の方は、母親がユダヤ人=ユダヤ民族と見なされると言う事や、ここ60年でユダヤ人=ユダヤ教徒と言われている傾向があるという事であったが、なぜ「イスラエル人」と言わないのかも疑問として残るが、「人種」としてというよりも「民族」として「言語」が何らかの影響がある為ではなかろうかというようなお話をされていた。
1948年に、パレスチナ難民のスラム街ができ、失業率4割、国連の食糧援助に頼っている状態であるが、ハマスに物資は入れないとされたと言う。
パパブッシュが選挙させ、カーターが監視し、民主的な選挙をして政権を手に入れたハマスにも関わらず、木材、建材はほとんどストップされ、認めたがらないと言う。
「オスロ合意」で、ラヴィン首相とアラファト議長の合意がなされ、ノルウェーが和平を進めていたが、ビル・クリントンがいいとこどりをしたという事も含めて、「国連決議」の方がまだ内容が良かったとも言われていた。土地の境界線、イスラエルの生存権を昔は認めていなかったが、今は認めていると言う。
「壁」ができるのは、「水源」があり、豊かな土地であるからという事。
イラク、レバノン、他のところにしかけているのは、イスラエル、亜米利加であるという部分を考えないといけない。とも言われた。
エジプトが封鎖している、国境を閉めていることも、事態に拍車をかけているようであった。
お話を聞きながら、生命線を断たれ、境界線をぶつ切りにされ、壁の中や柵の中に囲まれているのは、そこに暮らしている人たちであるとともに、そこに暮らしていないすべての人たちでもあるような気がして来た。
封鎖をかいくぐり、穴を掘る人たちも中にはいて、そのことも知られてはピンポイントで狙われて砂まみれになって亡くなった方。
シファ病院や国連の学校を攻撃されて足を失った少女。
住宅地での攻撃。
重金属のダイムやタングステン(ガンを引き起こす物質といわれている)の混じった白リン弾で焼かれた建物や土地がくすぶり続けて、中でも、アブデラボー地域への攻撃がことのほか激しかったという事。
アムネスティによると、年間30億ドルの援助の中身に含まれ、白リン弾は亜米利加から入ってきているという事。
ガザの「農場」の6割が破壊されたという事。
「工場」も破壊された事。
つまり、ほとんど働けなくするということ。
通貨はイスラエルのシュケルで、攻撃されればされるほど、イスラエルが潤うという構図。
停戦後の攻撃で、軍艦からも爆撃されたという事。
給水車が時々来るくらいで、ひとつのパンを十人で分けていたと言う事。
南部ザイツゥン地区の集団農場では48人の親族が殺され、砲撃ミサイルを打ち、イスラエルがやって来て、一カ所に集めて、又攻撃して虐殺したと言う事。
子どもの前で親の首が飛び、内臓が弾けて行ったのを見てしまった子どもたち。
~~~~~~~~~~
シバレイさんの生々しい言葉と写真に入り込み、生きたまま埋められて行くような、壁の下に穴を掘り続けているような息苦しさに、向き合うどころか、追いつめられたまま、
生命線は地下を通り、国境線は地上に蔓延る。
と、目眩が止めどもなく押し寄せてくるのをよけることもなく、考え続けていた。
(続く)