明鏡   

鏡のごとく

『蟹足腫』

2015-12-14 15:33:05 | 詩小説
蟹足腫。

が、私の足にできたのは、野菜が煮崩れるほどの熱湯をこぼしたからだった。

深緑のブロッコリーが鮮やかな新緑にかわりはじめたころ。

私は熱い熱湯をかぶり煮え湯を飲まされたばかりでなく、一本の蟹足腫が生まれる前に、産湯に浸からせたかのようであった。

最初はヒリヒリと痛むばかりの心臓の形であった火傷痕は、みるみるうちに小さな沢蟹の足のような形をしたものがつらなりはじめ、いつのまにか、さわさわと私の足を引きずりながら、歩くかのように一本継ぎ足されたようになったのである。

心臓に毛が生えたのではなく、足が生えた訳だ。

私は、蟹の横歩きのようにはいかない、痛みの残った黒ずんだ火傷の痕をかばいながら、歩いた。

じっとしていられる状況ではないのだから。

私は、片足だけ靴下を履いて、火傷のある方の足は、そのままにして歩いた。

蟹足腫がすこしでも軽やかに、すてっぷをふめるようにではなく、ただ単に痛みを靴下の下から少しでも逃がしておきたかったからだ。

蟹足腫は、流水を欲した。

水道でもいいのだが、流れる水がないと、痛みのため、いきていけないようであった。

意識がなくなるまで、水にさらしておいた足先は、血の気を失い、息絶え絶えになりながらも、私の足で悶絶しながら、痛みに耐えていた。

蟹が鍋のなかで真っ赤に染まる時、このような痛みを伴うのであろうが。

喰われることのない身は、いつまでも、晒されながら、痛みがいつ去るかも分からず、歩き続けなければならないのだから、どちらがいいかわるいかは、なってみないとわからないものだ。

などと思いながら、流水から足をぬきさった。

赤黒い心臓の形をした火傷は、皮膚を削ぎ落としたばかりの、真新しい、死んだ人から抜き取った、生まれたての心臓のような色艶を覗かせながら、どくどくと痛みを増してきていた。

蟹足腫は、死神か守り神のように、それにぴたりと寄り添うていた。