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鏡のごとく

日中戦争は中国の侵略で始まった 新書 – 2016/2/26 阿羅健一 (著)

2016-03-24 14:04:42 | 日記
内容紹介
知多半島の突端近くに中之院という小さな寺がある。そこにおよそ50体の兵士の石像が静かに佇んでいる。第二次上海事変で邦人の命を守るために、犠牲となった若者たちの像である。昭和12(1937)年8月13日、在留邦人3万人が逃げ込んだ上海の日本租界に、約5万人の中国軍精鋭部隊が、協定を破って突如襲いかかってきた。守るはたった4000人の海軍特別陸戦隊……。ここから日本兵4万人以上の死傷者を出す3か月に及ぶ大激戦が始まり、日本はなんとか上海を守り切った。その後、日本軍は壊走する中国軍を追撃して南京へと向かい、南京を占領した。そこで戦争は終わらず、中国は戦いを長引かせる戦略をとり、日中戦争は拡大の一途をたどっていった。本書はその第二次上海事変の戦いを緻密に追い、日本軍の南京攻略は決して侵略ではなく、むしろ中国が侵略したことによって日中戦争が始まり、泥沼化した事実を明らかにしていく。

出版社からのコメント
日本人は何となく「日中戦争は日本の侵略戦争だった。中国には謝罪すべきだ」と思っていないか。昭和12年8月13日、在留邦人3万人が逃げ込んだ上海の日本租界に、突如5万人の中国軍精鋭部隊が襲いかかった。守るはたった4000人の海軍陸戦隊……。ここから日本兵4万人以上の死傷者を出した3カ月に及ぶ大激戦(第二次上海事変)が始まり、日中戦争は拡大していくこととなる。日中戦争は決して日本の一方的な侵略ではなかったのである。2015年10月、中国政府はユネスコの世界記憶遺産に南京事件の資料を登録した。それを放置することは、「日本国民は残虐だ」という誤った認識を世界に広めることに他ならない。日本人は今、過酷な戦いだった上海戦の実相を知り、「日中戦争は決して日本の侵略で始まったのではなかった」という歴史的事実をはっきり確認すべきときを迎えている。



中国 中国共産党に「歴史認識」を問う資格はない! 日本軍に感謝していた毛沢東

2016-03-24 10:32:47 | 日記


今年の9月3日、中国は「中国人民抗日戦争勝利と世界反ファシズム戦争勝利70周年」なる記念行事を行なった。演壇にプーチン大統領や「戦争犯罪人」のバシル・スーダン大統領などを並べて「反ファシズムの軍事パレード」とは悪い冗談だが、「反日」を外交の道具にする習近平政権の意図はよく分かる。翌10月には南京事件をユネスコの世界記憶遺産に登録させたのも、こうした中国外交の「成果」だろう。習近平政権は一貫して「歴史認識」を対日外交のカードに使い、日本にも「正しい歴史認識」を求め続けている。

 しかし、そもそも中国共産党に「正しい歴史認識」なるものを求める資格があるのだろうか。新潮新書『毛沢東 日本軍と共謀した男』(遠藤誉著)を一読すれば、共産党が善玉で「ファシズム日本」が悪玉だとする中共の歴史観は木っ端みじんに砕かれるだろう。むしろ、中国共産党が天下を取れたのは、他ならぬ「ファシズム日本」と協力したからである、という事実が明確に浮かび上がってくるのだ。

■日本軍に情報を売っていた毛沢東

「日本軍の進攻に感謝する」──。こう明確に言い切った中国人がいる。他でもない、「建国の父」毛沢東だ。これは1956年9月4日、訪中した元日本軍中将、遠藤三郎に対して毛沢東が言った言葉だ。

 日中戦争の時期、毛沢東は「国共合作」で得た国民党の情報を日本に売り、巨額の情報提供料を得ていた。それどころか、潘漢年(はんかんねん)というスパイを通じ、日本軍に停戦を申し入れてもいる。毛沢東の基本戦略は、日本軍との戦いは蒋介石の国民党軍に任せ、温存していた力を日本軍が去った後の「国民党潰し」に使い、自分が「皇帝」になることにあったからだ。いわば、「建国の父」が自ら、人民を売っていたのである。

 毛沢東は戦後も一貫して、日本の軍人と協力しようとしていた。

 日本の敗戦後に4年間続いた国共内戦は、共産党の勝利に終わる。中国共産党は49年に中華人民共和国の建国を宣言した。とはいえ、中華人民共和国が国連に加盟するのは71年なので、それまでは「国際的に承認された中国」は中華民国(台湾)のままだった。だから、中国人の意識の中では戦後も「国共内戦」は続いていたのだ。
 当時は中共も台湾も「日本軍人の力を使って」相手を潰すことを考えており、日本の軍人は中台が奪い合う対象だったのだ。

 毛沢東は、日本の支那派遣軍総司令官だった岡村寧次大将を中国に招きたかったが、戦後に蒋介石と太いパイプを築いた岡村は「白団(パイダン)」という元日本軍人による軍事顧問団をつくって台湾を支援していたため、代わりに招聘したのが遠藤中将だった。毛沢東の「日本軍に感謝する」発言が、他ならぬ元日本軍人に対してなされたのには、そういう背景があった。

 ちなみに毛沢東は、日本軍の「侵略」という言い方は、一貫して使っていない。使っていないが、日本人の側が贖罪意識から、毛沢東の使う「進攻」という表現を「侵攻」「侵略」と言い換えている例は多々ある。
 『毛沢東』によると、徹底したリアリストだった毛沢東は、彼に会いに来る日本人がみな左翼で、誰もが判で押したように「謝罪」ばかり口にすることにうんざりしていたという。それもそのはずだ。彼が欲しかったのは「左翼の謝罪」ではなく、「元日本軍人の協力」だったのだから。

デイリー新潮編集部




『毛沢東―日本軍と共謀した男―』 遠藤誉 著