明鏡   

鏡のごとく

『役目』

2016-05-21 22:48:23 | 詩小説


私が、まだ学生であった頃。

授業には出ず、文芸部の部室に日がな一日いて、詩か小説が書けるようになるにはどうすればいいかしか考えていなかった。

ほぼ同じ授業をとっていて代返をしてくれる高校時代の剣道部で一緒だった友達もいたが、彼女とはどこか疎遠になっていた。

私は、彼女の屈託の無さが好きであった。

いつも、会うと眉を大きくトムとジェリーのジェリーのように動かして、にじり寄り、

なんばしようと 授業でらんね

と言っては、にやにやするのだった。

私は、彼女の気遣いに感謝しながら、母親に優しく諭されているろくでもない子どものような、いたたまれないような気持ちになった。

彼女の回りには、いつも人がいて、賑やかであったが、私には居心地があまりよくない人の多い集まりだったので、お互い無理をしないように、つかず離れずの縁遠さになっていったのは自然なこととして、なんとも思っていなかった。

彼女の取り巻きの一人の女の子が正直苦手であったのも、その原因であった。

あの女の子は、抜け目がない目をしていた。

白目がちな目の奥に黒い点があり、その目が何かを狙っているようで、魚が死んだような濁った目をしていたのだ。

その腐性のようなものを、高校時代からの友人の陽性が、埋めているのかもしれなかったが、その吸い尽くされてしまいそうな、射抜くような目に、正直、一緒にいると、いたたまれなくなるのであった。

誰も、寄せ付けない目には、吸い寄せる目が対峙するのが、妥当なのかもしれない。一対の目のように。

私には、到底、できない役目であった。


卒業式前に、高校から一緒だった友達の輪の中の一人の女の子が亡くなった。

六号館の屋上から飛び降りたのだった。

ピアノ室がタコ部屋のように並んでいるその六号館の屋上に行ったことは一度もなかったが、屋上までの階段を登る気はさらさらなかった。

教師になるためのピアノ部屋に行くのがせいぜいであった。

たどたどしい戦慄。どれみどれみどれみ。どしらそどど。どどしらそ。どっどどどどど。どっどどど。

ピアノ部屋は共同で使用する。

どっどどどらどらどしらしど。

あのピアノ部屋で、その子は何を思ったのだろう。

どれどれどれどど。しらしらし。

その子が飛んだ。

あの女の子の目が、その子の背を押した。

その子の付き合っていた男の子が、あの目の女の子と付き合い始め、結婚したという。

どれどれどどどど。ししししし。

死に目にあわした、あの目がこわひ。

どこかで、先生やっている。

死に目にあわした、あの目がこわひ。


血液検査とパンク修理とタックスヘイブン

2016-05-21 15:04:26 | 日記
パンクしたというせがれの自転車の修理にだしてから
排水の影響を調べるための血液検査と腸内環境を調べるための検査をうける
結果は三日後に学校を通して伝えると言われた
時間差があるためリアルタイムでの排水汚染の影響はわからないかもしれないが
なにかしら悪影響が残っている場合も考えられるため
念のための検査ということである
兄の方にも行くべきといったが
時間がたっていることもあり
行く時間も行きたくもないというので
親の心配は尻目に我関せず
親はずっと腸内環境について悩んでいたので
その間に起こっていたことをある程度内科の先生にお伝えしたが
兄の場合もお薬を出されただけで
中学にいる間は少なくとも
あまり腸内環境は変わったとはいえなかったので
弟の方も行っても変わりないと病院や薬には頼らず
食事からなんとかして腸内環境を整えなければとやっきになっていたのが
裏目に出たような気もするが
とりあえず
今の状況を把握するためにはいい機会であるので
弟だけでも検診した次第である
他にも
排水の影響があったと思われるお子さんがいたと聞いて
みな人には言わずも
悩んでいたのかと思うと
ひとりではなくおおくのもののもんだいであったのがわかる
原因がわかることによって
いとも簡単に解決するものなのかと改めて思う


パンク修理も車輪を変えずに穴を塞ぐだけで済んだ。
穴さえなければ、なんとかうまく走れるのだ。
自転車操業でも。


今回パナマ文書で出てきた税金の問題の原因も突き詰めていけば
日本人が搾り取られ続けている消費税分を補えるような巨額のタックスヘイブンへの駄々漏れから
当初の目的であるはずの日本国民の為へまっとうに平等に使われるべき流れへと循環できるように
消費税増税で悩むことなく贅の抜け「穴」をただしまともな流れをつくるように
いとも簡単に消費税撤廃に繋げるように
一部の金持ちだけ優遇される世界ではなく
社会全体がまっとうな方向に変わっていくことを望む

難民支援に二十兆円ばらまくとはこの国は腐っているとしか言いようが無い

2016-05-21 09:36:35 | 日記
九州の地震が続きながら
東北の地震の後遺症もあり
さらに南海トラフもやばいと言われ続けていながら
難民支援に二十兆円ばらまくとは
それに群がる人権団体だけが肥え太るだけである
そのようなことをする
余裕など何もないこの国が見栄を張る必要はない
馬鹿ではないのか
電気料上乗せして国民に大震災のつけを払わせ続けている東電さえも
税のがれしていたタックスヘイブンは見て見ぬふりをしながら
消費税増税をしてそれを賄おうとしていうるのは目に見えており
電通の税金逃れに加担しているゆるいマスゴミにかぎらず
この国の戦後そのものが腐っているとしか言いようが無い

マイミクさんのつぶやきより

2016-05-21 08:29:13 | 日記
マイミクさんのつぶやきにしょうげきをうけた。

米国に棲んでいるというその方は、公立の小学校の教員をされていて、何人も先生が変わらなければならないくらい、問題のある生徒を指導することがままならないという。

幾つもの公立校から追い出されて、転校してきたそのマイノリティの子は、歩きまわったり、鉛筆で腕を刺したりするので、注意深く見ていると、他の子への注意が散漫になりかねず、学級崩壊を招く行為を繰り返す生徒の方の肩に触れるだけで、マイノリティの子は人権侵害だ、差別だと言ったり、するという。

そういうことで、自分が最低限するべきことを回避し、やりたくないことを回避してきたのは明らかであるが、最低限の安全を疎かにしている点において、間違っていると認識できない、目隠ししているのが、米国の現状だと思われた。

鉛筆の尖った先で危害を加える時点で、他の人への配慮は一切ない人権というものが、あまりに捻じ曲げられていることをこそ、問題と見るべきであるところを、その場しのぎで、生徒を校長か教頭かが学校中を歩きまわらせて、その子の悩みを聞いてあげてよかったよかった。という何も良くならないカウンセリングの自己満足的医師と何ら変わらない対応で、何も救わない、全てを駄目にすることを目的としたような、私はとっても悪い子のことがわかるとってもいい人的な人の、偽善的対応に疑問を持つ。

そういう教育が徹底している、法律でがんじがらめにしてきた米国の悪法のために、暴れるものは暴れまくり、普通に勉強をしているものは、われ関せずに成りはてるしかないという。

そういう教育が果たして、世のためになるとは到底思えない。

自国のマイノリティには公の場での態度だけは優遇している一方で、安くこき使うことには冷酷であり、一部の金持ちには関係ない公立のことなので、やりたい放題していることは、どうでもいいのであろうが。

直接目にしない他国においては、我関せずで、爆弾を落としまくるメンタリティは、どこから来るのか。ここからも、その偽善的無関心が臭ってくる。

見せかけの偽善を押し付けられて困るのは、いつも国民である。

あのLGBTなるものの広報活動の胡散臭さとも連動している。

多くのものにだけ、我慢を強いるのはいかに偽善か、という問題提起をされている。

日本においては、スーパーなどでは、ユ二バーサル?トイレなるものがあり、子供連れや妊婦の方や、実家の父や義母のような障害のある方もゆったりくつろいで使うことのできるトイレが有り、そこを一般の人も使えるので、同じように性に違和感を持たれる方も使えば何ら問題はないと思われるが。
学校などでは、そのようなトイレは少なく、戸惑うこともあるのかもしれないが、教師使用のトイレなども別個にあるので、そういったもののユニバーサル仕様?というものが一番スムーズに行くかとも思われる。

米国の場合は、自分の意識する性にしたがって使用するようにと通達があったらしいが、あまりに現場に、まかせっぱなしの、混乱させるだけの通達で困惑している様が見て取れた。




そのような世界には決してしたくはない。

ダメなものはダメというものに、差別というキーワードで、なんでも通用するような法律を作ってはいけないものを、その手助けをするとはなんという馬鹿なことをしているのであろうか。

やりたい放題のものがいても、何もできない世界にしたいのか。

馬鹿な議員がいる。

在日の人が日本人青年をリンチしても、我関せずの政治家などがいる限り、日本は腐り続ける。

元アメリカ兵の事件と重なり、この法案が衆議院でも通過したことも合わせて、みるにつけても、マイノリティが少数のものが弱いのでは決してないのだ。

武力や、法律によって、日本人を押さえつけようとしていることにこそ、憤慨し、戦わなければならない。

日本人は、あまりに、刷り込まれすぎている。われ関せずに仕向けられている。

お仲間集の呆れ果てた、デマということにして、なんでもないことにしてしまう、国民の税金を食い物にしているものの、大いなる偽善は絶対許されない。

大學はそのようなものの巣窟になってしまい、行く価値はなくなりつつある。
そもそも、勉強は自分で探して、つかみとるものであるなら、お仕着せの金ばかり絞りとる、大学に行く必要性もさらに薄まるのは、確かである。

理数系はまだ、そのようなものを寄せ付けないものがあるようなので、ましであろうが、差別利権で人権を食いものにするだけの、そのようなものが幅を利かせるだけの自称高等教育も自称芸術もいらない。