妄人妄語 衆議院議員野田聖子さんの選挙公約消去 有権者・国民を愚弄するサイト一時閉鎖に抗議します!「非道」はどっち?

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なかなか。。。

2005-04-19 18:38:07 | Weblog

ここ2週間ばかりなかなか記事をアップできなかったり、TOPにのらなかったりといったことが続いている。

無料なのであまり文句はいえないが、サーバーや利用者数に関してできるだけ詳しく公表してほしい。

何度かメンテナンスしているはずなのにどういうことなのだろう。

残念な小学校の先生の自殺

2005-04-19 18:34:16 | つぶやき

こちらのニュースで小学校の教員の自殺が報じられている。

まだ採用されたばかりの若い教員で、しかも授業時間中に生徒が発見したらしい。

まだついさっき入ったばかりのニュースであるから、原因などはこれから究明されてゆくであろうが、一般的に言って、小学校の教員というのは激務であり、その肉体的、精神的消耗度に比べて待遇はけしてよくない。

一クラス30人以上の生徒を一人で毎日6時間相手にするというのはわたしにはどう考えても激務である。しかも最近の教育をめぐる環境は教員に対してあまりにも期待しすぎの面も否めないであろう。

生徒の生活指導に関して本来、親や、警察がすべきと思われることにまで教員がすべきだと思っている人が多いのではないだろうか。

生徒も親も教師もみな人間である。

みなそれぞれ限界はあるだろう。

それと自殺した人はまだわかい。採用したてのうちはあまりたくさん授業を持たせないなど、少しずつ現場に慣れさせてゆくような工夫が必要なのではないだろうか。

今のように担任の先生がほとんど全ての科目を受け持って、四六時中生徒と顔をあわせていなければならないシステム自体も考え直さねばならないのかもしれない。

国益に反する外務大臣中国訪問。反日デモを後押しするさらなる歴史共同研究提案

2005-04-18 19:45:23 | 外務省と原田武夫批判

町村外務大臣が北京を「訪問」しているが、なぜ今の時期に訪問したのだろうか。もともと決まっていたのかも知れないが、だったらキャンセルすべきであったろう。それのみが今中国各地で起きていることにたいしての有効な日本側からの抗議であったのではないか。

日本でもすでに在日大使と「会談」したそうだが、「激論」になったそうである。その時点ですでに、中国側と今の段階で話し合いをすることがいかに向こうのペースに巻き込まれるかわかってもいいはずである。

中国のマスメディアは町村外務大臣が謝罪したかのごとき報道をしたらしいが、実際にそのようなことはしていなくても、今の時期にわざわざ訪中すれば、向こうは「謝罪」に来た格好にさせられてしまう可能性はあるのであって、そういうことに考えが及ばなかったとしたら、そういう人たちに外交を任せることは日本にとって不利益しかもたらさないであろう。

しかも日中の間で歴史の共同研究を進めようなどともちかけたらしいから、これでは日本側は謝罪していなくても、そうした提案自体、日本側が自らの非を認めたことになるのではないか。

だいたい日中の共同の歴史研究というのは今までもやってきたのではないだろうか。もちろん自分は歴史の研究が「共同」で行われる必要など感じてはいないが、こういうことを提案するのは要するに予算をつけて自分たちがいかにもよいことをしているかのごとき印象を内外に与えようとしているという印象しか自分にはもたらさない。

私はもちろん日本は過去に中国などにひどいことをしたとは思うが、子供に歴史の全てを教えることはないと思う。

中国にしたって、天安門事件や、チベットのことや、文化大革命をどのように教えているのか、いないのか知らないが、いずれせよ、国内でどのような教育をするかということに関してデモをしたり、それを正当化して、日本側に原因があるといってくるのは内政干渉である。

さらにまずいのは今の外務省が、莫大な税金をつかってわざわわざ今の時期に中国に行って、そうした内政干渉に手を貸していることであって、自分にはのように国益に反することばかりやっている役人はほんとうに困ったものだと思う。



極真空手を見に行った。

2005-04-17 20:52:56 | つぶやき


今日は極真空手の大会を見に行った。極真といえば大山倍達だが、その大山がなくなってから、早くも10年以上たつ。考えてみると極真の大会を見るのは初めてだが、女性の選手や保護者が目立った。

そして子供も非常に多く、入賞者は表彰式の後に関係者らの列に入って撮影をしていた。会場のあちこちで、なんども「オス」という声は聞かれたもの、どこか非常にソフトな雰囲気が漂う会場風景であった。

これは関東の大会ということだからかもしれないが、すごく小さな子たちの階級もあるというのが意外な感じがした。

あまり小さいうちから運動をするのはどんなものかと自分は思うが、「極真」のイメージにとにかくあわないようなきがした。

会場の後片付けは、スタッフが非常にまとまってやっていたようなのは非常に見ていて気持ちがよかった




矢口真理の脱退について吉澤ひとみフアンの嘆き

2005-04-17 20:35:10 | つぶやき

矢口真理が俳優との交際がばれて、それが理由でモー娘。を脱退するという。正直それがほんとうの理由なのだろうかと思ってしまう。復帰を求めて署名をしている人もいるようだが、こういうことは署名となじむかどうかも自分には分からない。何かまずいと思われることをしたわけでもないし、一応自分から「脱退」したらしいので、これで復帰するとなるとかえって混乱するような気もする。

それにしても分からないのは、安部なつみの盗作事件のときもそうだったが、何でこんなことで他のメンバーがあやまらなくてはならないのだろう。しかも今回は男女交際が発覚ということだけれど、単なる交際であればそれほど問題ではないと自分は思う。

このグループというのはテレビ東京でやっていたグループ結成の企画でできたのだったが、次々に新メンバーを加え、いろいろユニットができてすごくわかりにくくなってしまった。これはさらに以前の「おにゃんこクラブ」的な運営の仕方だったと思う。

SPEEDなどの場合に見られるようにメンバーが固定してしまうと「普通の女の子に戻りたい」といったことを理由に、「解散します」といわれれば、それに携わった人たちは自分の仕事がパーになってしまうようなもので、それを防ぐためにこういうふうにやたらとメンバーを増やしているのではないか、とかなり前から思っていた。

自分は吉澤ひとみがデビューしたとき、なんてきれいなんだろうと思った。そしてこの人とあるとないのデパートでもうかなり前すれ違ったときはほんとうにうれしかった。

でももうこの人もついにリーダーにになってしまった。いずれ追い出されるのではないかと以前から心配しているが、大丈夫だろうか。

自分が原因ではないいろんなことで人前で頭を下げるのは、まるでどこかの大企業の社長さんみたいで、自分は若い女性がそういうことをするのは、なんだか悲しい。



ハーバード・ビジネススクールが100人以上自動的に不合格に

2005-04-16 23:59:40 | Weblog
ハーバード・ビジネススクールで合格発表される前に自分の結果を見た学生100人以上が不合格となった。その手段は実に簡単なものであったらしく、ハッキングとまで正確にはいえないものであるらしい。
大学は学生の来年の応募を許すらしいが、学生の方は自分たちが不正行為を行ったというレッテルを生涯貼られることになると反発している。
ハーバードだけでなくMITや、スタンフォードでもおなじことが起きたらしい。日本でも熊本大学のHPが一時敵に書き換えられたり、湯沢市民の個人情報がネット上に流れるなどいろいろな不祥事やハッキングの事件が相次いでおり、さらに下ののサイトではこれ以外のウィルスなどの例が細かく紹介されている。
非常に困ったものだ。
こちらのサイトもご覧ください。

セサミストリート35周年。NHKは語学番組は毎年作り変えなくていい。

2005-04-16 17:46:58 | マスコミ批判

たまたまworkshopというのがどういうものか調べようとしたら
こちらのセサミストリートのサイトにたどりついた。

この番組は35周年だそうだ。ということは、自分が子供のころに始まった
ということだ。

そういえば子供のころはなんとなくよく見たという気がする。

別に英語が分からなくても、その場の状況というのはよく分かるし、ただひた
すら数字を数えるカウント(count)というキャラクターがいたりして、
数字というものを耳から無意識のうちにおぼえていたのかもしれない。

わりと年をとってから何度もフランス語を始めたが、これは何べんも挫折して
いる。

特に必要があってやっているわけではないのだが、英語の場合、子供のころに
無意識のうちに接している英語というものが思っている以上におおくてそういう
ことがいくぶん役立っているのかもしれないのに対してフランス語の場合にはそう
いうことがまったくないというのがも挫折の原因の一つかもしれない。

NHKは毎年のようにイタリア語講座でもフランス語講座でも番組を作り変えて
いるが、自分はこれほど無駄なことはないと思っている。

つい最近のある週刊誌で貴乃花のイタリア語がうまいということについていろいろ
書いてあったが、これもどうでもいいことで、習い始めの語学など毎年まったく同じ
ものを流して問題はないと思う。

毎年おなじものを見るのは屈辱かもしれないが、楽しさばかりを追い求めていること
も語学習得にはいいことだとは思えない。

見ているほうが、趣味としてやるのであれば、それで問題はないのだろうが、とにかく
予算の無駄であろう。

セサミストリートにしても、吹き替えなしで流すのが当然であって、なぜそのような
スタイルをやめてしまったのか不思議であった。

今は放送終了になってしまってその理由は分からないけれども余計な工夫をしてもとも
こもなくなってしまったような気がしないでもない


今朝の出来事

2005-04-16 14:33:09 | つぶやき

昨日カーテンを洗ったら信じられないぐらい空気がきれいになった

普段は信じられないぐらいホコリがすごい部屋で寝ているのだが、なんだか空気を吸っても大丈夫なような感じ

すごく気持ちが良かった。ホテルなどでもすごくきれいなようでいて、実際には朝起きてカーテンの隙間から漏れる光に照らされた部分にものすごくホコリがまっていたりするのだけれど、あれはたしかなんとか現象?とかいって、どこでもそのようなことは出来するはずだ。自分の部屋のホコリというのはそれどころの騒ぎではないのであるが、とにかく今日は気持ちがよかった。

しかし、洗面所につけておいたクリップライトというのをはずそうとしたらいきなりパリッツという音をたててとっての部分が壊れてしまった。

なんだかすごく悲しい。クリップライトを使って、しかもそれをあちこち移動しているのもよくかんがえてみると悲しい話だ。。。

ちなみに今はPCラックの脇にある、文庫本の本棚の中にはめ込んでそれをつけてこれを書いている



ジーパンやカーテンを洗える日は珍しい

2005-04-15 19:16:14 | Weblog


おとといは珍しくジーパンを洗った。ジーパンは厚いのでなかなかかわかず、洗うのも下手をすると一ヶ月に一度ぐらいになる。それ以外にもかなり厚でのズボンを洗った。どれも夕方ごわごわにかわいていたが、やや湿った部分もあり、今日も乾かした。
そして今日はカーテンを洗った。すこしは部屋の空気がきれいになっただろうか

おとといのことだけど、近くの古本屋で

2005-04-15 13:56:34 | つぶやき

本を2冊買った。一応こないだ地震があったので本棚が倒れていないか見に行った。

そのときも遅かったし、今これを書いてるのも遅すぎる


そこの本屋の人はPCはないので、時々情報を提供しているけれど、その人から

教わる耳学問もかなりなものだ。全国的にも有名になりつつある、珍しい本を

たくさんそろえてあって、本棚を見ているとため息が出てくる


ネットでこれだけ情報が得られ、図書館も利用できる状況で本を買うというのは、

ある意味非常なぜいたくかもしれない。


というわけで?、最近は本を買うこともほとんどないし、神田などへ行くことも

まれになった。


でもおとといは岩波新書を2冊買った。900円だったのを、100円まけてくれた。

もらい物のパンももらった。


物乞いみたいだが、実際そのようんものだ


さて買った岩波新書だが、

『大英博物館』

『小説はいかにかかれたか』

であった。

ネットでは下手をするともっと安くで入手できるようだが、まぁいいだろう。


大英博物館に関する情報はネットにごまんとあるだろうが、こういう本という

のも逆にそれだけ面白そうな感じがする。


ほんとうは自分はこれらの本はさがせばいえのなかにあるのかもしれない。


自分の家にはとにかく本がおおい。前の、前の地震でおおきなスチール製の本棚が

倒れたままだ


「片付けよう」と思うだけでためいきが出る


ツナ・トーストが好き☆

2005-04-14 19:09:52 | つぶやき

朝食は最近ずっとトーストだけれど、トーストにも毎日バターをつけただけでは飽きてしまう。ジャムもつけたいが、極貧にあえぐ自分には高くてたまらない。というわけで、蜂蜜をつけたりする。
それと、シーチキンを食べることが多いが、これは最初からのせて食べるとうまい。というわけで、以下のような朝食にはまってる。


ツナトースト
◇パンにバターをぬり、とろけるチーズ一枚をのせ、シーチキンをのせトーストにする◇

もう終わっちゃった。完成したらマヨネーズをかけてもうまい。今度最初からかけてみようかな。

それとチーズはとろけるチーズの代わりに硬いチーズを包丁で切ってまぶすのもいいだろう。その方がやすいかもしれない。

あーおなかすいたなぁ


国籍法を違憲とする東京地裁の判決に関するど素人の疑問

2005-04-13 18:09:51 | ど素人による法律問題

まずこちらのニュースをごらんください

私は法律に詳しいわけではにし、判決もニュースで一二行その骨子を見ただけであるが、「法の下の平等を定めた憲法に違反する」というくだりは、憲法を読み直してみる必要があるように思う。

憲法14条第一項は「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」となっているが、この主語はもちろん「全て国民は」であるから、国民でないものにはこの権利は保障されているものではないだろう。

そして憲法第10条は「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」となっている。そしてここで言われている法律は国籍法の第一条でいわれている通り、国籍法である。

この件で問題だったのは母親に日本国籍がなかったということだけでなく、この両親が入籍していなかったことにあるのだろう。

しかし、繰り返しになるが憲法が法の下の平等を定めているのは日本国民に対してであるから、日本国民になることをめぐって平等権に反するというのはどうも自分には腑に落ちない。

もし憲法の精神に反するというのならまだ分かるがいずれにせよ、自分には分かりにくい判決だ。




反日デモに思う。

2005-04-12 13:09:55 | つぶやき

デモをしたり、日本人をなぐったりするぐらいなら、日本の工場で働いている人
たちがストをやったほうがよほど効き目があるとあるネット上の配信で言ってる人
がいた。

実際には日本の工場があるところではあまりデモなどはおきてないのかもしれない。

デモをしている人たちは中国の全人口のどれぐらいのわりあいなのだろう。

BBCなどではサイトのTOPで紹介されていたが、いずれにせよこれがはたして
本当に正当性があって行われていることなのか世界中の人に考えてほしいことであ
る。

日本は国連に世界一の拠出金を出しているが、これでいいのだろうか。

常任理事国入りを目指すより、それだけの金をなぜ出さなければならないのか考える
必要はないだろうか。

たしかに中国はいろいろな意味でわが国だけでなく世界にとって非常に大切な国では
あるが、一種の脅威でもある。

私は日中国交回復ということは経済的にはよいことであったと思うが、そのことで
犠牲にした事もあったはずだ。

外務大臣は中国の駐日大使と会談したようだが、報道によれば「激論」になった
らしい。

果たしてこれでいいのだろうか。

2008年にはオリンピックもある。

今回の暴動にはネットの果たした役割も多いようだが、日本を理解してもらえる
ようネットを通じて呼びかける能力のある日本人にでてきてほしい。

一応暴動中止を呼びかける動きもあるようだが、根本的なところで日本に対する
考え方などを改めてまおらわないと、いつまた同じことの繰り返しになるか分から
ない。

言論の自由のない国の危うさ、国がマスコミを握っている国のこわさを感じるが、
日本でも別の意味でマスコミが一種の権力であることは忘れるべきではないだろう。


残念な大魔神・佐々木投手の離婚・再婚?

2005-04-11 15:36:34 | つぶやき

周知のように大魔神の離婚は成立し、タレント榎本加奈子と再婚しそうだ。

榎本は妊娠しているらしい。もちろん前の奥さんや子供は泣いただろう。

生まれてくる子供も泣くかもしれない。


奥さんの友達の山瀬まみも泣いたかも知れない。


また同じようなことが起きて(今は笑っている?)榎本も将来、仁科明子のように

泣くかもしれない。


人の旦那をとるような女の人はそれほど魅力があるのだろうか。

徳永アナの再婚もチャールズ皇太子の再婚も自分はあまりいいことに思えないが、

野球選手の場合、子供たちに夢を売る商売のはず。

何だか情けない

痴呆症・認知症・認知失調症・・・誤認症

2005-04-10 23:25:32 | 医療問題

前回それについて書いた足立区の冊子や広報に「認知症」という言葉が載っていた。恥ずかしながら自分はこの言葉をそこではじめて知った。Political Correctnessとか言うことがやたらとアメリカなどで言われているらしく、その影響かどうか知らないが、日本でも差別語を廃止しようという動きはいまだに進行中であるようだ。

しかし認知症というのは論理的におかしな感じがする。たとえば誤認証などといえば論理的にはわかるだろうが、これとて何か難しい響きがある。認知失調症というふうに言うべきだと主張する人たちもいることを教えていただいたが、これも長すぎると思う。「認知障害」などといえばいいのだろうか。

しかしこのようなことを考えるのは、「痴呆症」という言葉を使い出すころにマスコミや医学会が考えるべきことではなかったか。これは私の憶測だが、「痴呆症」という言葉は「ボケ」という言葉に代わるものとして使われだしたのではないだろうか。もしくは考え出されてというべきか。

かりに認知症という言葉を用いてもまたこれがまずいい言い方であるといわれる可能性もないではないが、これはどう考えても自分にはいメージが沸かないことばである。まずこれは病名なのであろうか。その点がはっきりしない。役所の文書に使われているところをみると、どうやら公式な言い方ということに落ち着きそうだが、いずれにせよ、この言い方が使われだすと、「痴呆症」とか「ボケ」という言葉はあちこちで使ってはいけないということになるだろう。

言葉がなくなれば病気や「症状」もなくなればいいが、なかなかそう簡単にはいかないと思うのが普通であろう。われわれはあくまでも「ボケ」や「痴呆」と闘いながら付き合っていかねばならないのだとしたら、「認知症」とか「認知失調症」といった専門的な響きのすることばでこの問題を論じたり、情報を集めたり送ったりすることが、自分たちとは関係の薄いものだという印象を与えてしまうことになり、問題と直面することにかえって役立たなくなりはしないだろうか。

たとえば、今まで「痴呆症」という言葉を使って書かれた著作物やネット上の情報の数も決して少なくないはずである。そういったことなど気にするに値しないということだろうが、「痴呆症」という言葉ですら、「ボケ」という言葉を避けるために使われだしたとしたらずいぶんな回り道をしたことになりはしないだろうか。

つまり痴呆症という言葉で浸透しているものを言葉を変えるということは意外に不都合なこともあるし、こうしたことを忌み嫌うことにすらなりかねないとも思う。

だいたい認知という言葉自体普段われわれはあまり使わない言葉であって、この言葉がどういう場合に使われるのかを考えて書こうとするとすぐにこれまたどういういい方はまずいとかいいとかいったことを考えなければいけなくなるようなきがする。

つまりこうした自己検閲のような意識が働くことによってある問題について考えることがめんどくさくなり、やめるという人もでてくるかも知れなくてそれが自分は「痴呆症」という言葉がいいか悪いかということよりもよほど問題のように思える