幾山川 越え去りゆかば 寂しさの
はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく 牧水
からまつの 林を過ぎて
からまつをしみじみと見き
からまつは さびしかりけり
たびゆくは さびしかりけり 白秋
誰もかれもが、寂しさの中で生きている
自分だけが寂しいのではなく
寂しさは、生きる中で同居している…そう思う私です。
寂しさは、時折頭をもたげて
どうしようもないほどの空虚感で、体を包みます…
でも寂しいのは自分だけではない。
快活に動いてる人々の心の中に
寂しさは同居していて
ある人は 酒でごまかし
ある人は つまらない話をしてごまかす
その一瞬だけでも寂しさと離れ
その時笑った思いを糧に、また明日生きてく…
でも、ふと気が付く…
寂しさをごまかすと、ある時、もっと寂しさが強くなっていることを…。
ふと、頭に浮かんだ詩を思い出しながら
そんな事を考えていました。
そして、詩の断片は思い出すのですが…
どうしても思い出せず
「白秋」であることは解るのですが
それが何処に書いてあったのか??
気になりだすと、小骨がのどに引っかかったように苦しくて
白秋詩集を手に持って見ても…見つからない。
何処で一体見たのでしょう??
断片しか覚えていなくて、検索しようにも検索が出来なくて…
で、やっと見つけ出しました。
「真実一路の旅」
真実、あきらめ、ただひとり
真実一路の旅をゆく。
真実一路の旅なれど、
真実、鈴ふり、思い出す。
二人で居たれど、まださびし、
一人になったらなおさびし、
真実、二人はやるせなし、
真実、一人は堪えがたし。
この詩の断片「ふたりでいたれど まださびし」が
脳の奥底に張り付いて居まして…。
「さびしさ」とは、切ないものですね…。
それでも何とか乗り越えねばならないのが、生きると云う事…。
生きる事は、辛さの裏返しでもありますが
その中に、ほんの少しの喜びがあるからこそ
生きられる、生き続けられるものではないでしょうか…。
「さびしさ」の慟哭を、これまで幾多の人々が味わってきました。
そして乗り越え、生き続ける…。
まさに東日本大震災がそうで
慟哭と、日々押し寄せてくる寂しさと闘いながら
2年の月日を過ごしてきたことでしょう。
「恋」もそうです…。
恋は、辛さの中にあり、寂しさと背中合わせ…。
身もだえし、慟哭し、疑心暗鬼になり、寂しさの中で泣く…。
筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる
私の貴女を思う私の恋心 あの筑波嶺から落ちてくる川の土や葉が積もって
淵となるように、私の想い・恋はつもりに積もっていますよ・・・。
そうです、会いたい…と思う恋心と会えない寂しさを
積み重ねて、淵のように高く積もるものなのです…。
「さびしさ」は「おもひ」の裏返し…
寂しい思いが有ったら、さぁ、一歩踏み出しましょうよ…。
きっとその先には、喜びや希望が見えるかも知れませんから。
-------------
さて、今日は朝から曇空
気温もそう高くはならないようで、一日過ごし易そうです。
相変わらずセミが鳴いています…
ふる里では聞く事が無かった種類の蝉の声です…。
狭いと言っても、日本はやはりこんなに違う…。
はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく 牧水
からまつの 林を過ぎて
からまつをしみじみと見き
からまつは さびしかりけり
たびゆくは さびしかりけり 白秋
誰もかれもが、寂しさの中で生きている
自分だけが寂しいのではなく
寂しさは、生きる中で同居している…そう思う私です。
寂しさは、時折頭をもたげて
どうしようもないほどの空虚感で、体を包みます…
でも寂しいのは自分だけではない。
快活に動いてる人々の心の中に
寂しさは同居していて
ある人は 酒でごまかし
ある人は つまらない話をしてごまかす
その一瞬だけでも寂しさと離れ
その時笑った思いを糧に、また明日生きてく…
でも、ふと気が付く…
寂しさをごまかすと、ある時、もっと寂しさが強くなっていることを…。
ふと、頭に浮かんだ詩を思い出しながら
そんな事を考えていました。
そして、詩の断片は思い出すのですが…
どうしても思い出せず
「白秋」であることは解るのですが
それが何処に書いてあったのか??
気になりだすと、小骨がのどに引っかかったように苦しくて
白秋詩集を手に持って見ても…見つからない。
何処で一体見たのでしょう??
断片しか覚えていなくて、検索しようにも検索が出来なくて…
で、やっと見つけ出しました。
「真実一路の旅」
真実、あきらめ、ただひとり
真実一路の旅をゆく。
真実一路の旅なれど、
真実、鈴ふり、思い出す。
二人で居たれど、まださびし、
一人になったらなおさびし、
真実、二人はやるせなし、
真実、一人は堪えがたし。
この詩の断片「ふたりでいたれど まださびし」が
脳の奥底に張り付いて居まして…。
「さびしさ」とは、切ないものですね…。
それでも何とか乗り越えねばならないのが、生きると云う事…。
生きる事は、辛さの裏返しでもありますが
その中に、ほんの少しの喜びがあるからこそ
生きられる、生き続けられるものではないでしょうか…。
「さびしさ」の慟哭を、これまで幾多の人々が味わってきました。
そして乗り越え、生き続ける…。
まさに東日本大震災がそうで
慟哭と、日々押し寄せてくる寂しさと闘いながら
2年の月日を過ごしてきたことでしょう。
「恋」もそうです…。
恋は、辛さの中にあり、寂しさと背中合わせ…。
身もだえし、慟哭し、疑心暗鬼になり、寂しさの中で泣く…。
筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる
私の貴女を思う私の恋心 あの筑波嶺から落ちてくる川の土や葉が積もって
淵となるように、私の想い・恋はつもりに積もっていますよ・・・。
そうです、会いたい…と思う恋心と会えない寂しさを
積み重ねて、淵のように高く積もるものなのです…。
「さびしさ」は「おもひ」の裏返し…
寂しい思いが有ったら、さぁ、一歩踏み出しましょうよ…。
きっとその先には、喜びや希望が見えるかも知れませんから。
-------------
さて、今日は朝から曇空
気温もそう高くはならないようで、一日過ごし易そうです。
相変わらずセミが鳴いています…
ふる里では聞く事が無かった種類の蝉の声です…。
狭いと言っても、日本はやはりこんなに違う…。