さて、それでは今年最初の『食戟のソーマ』の感想を述べると致しましょう。
といっても簡易版なのですが・・・。
ついこの前単行本22巻が発売されましたが、もうほぼ単行本一冊分きちんとした感想記事が書けていないことになるんですね・・・。
やばいやばいやばい(滝汗)。
年末年始やお盆といった休暇が取れる時期に限って、書きたいものが集まってきちゃうんだもんな~。
まずはともかく、ジャンプが発売される前に今回(第196話)の感想をば。
とにかくもう・・・。
今回の城一郎の姿は見てて苦しい、としか言いようがありませんでした。
城一郎の努力や苦労も分からず「次の料理は」「次の料理は」とせっつく重鎮達。
そんな輩に対する反発心から、「“天才”と言われる自分も失敗ぐらいする」というのを訴えたくて、城一郎はゲテモノ料理を創ったのだと思います。
(ちなみにここの同僚の女子二名にねだられているシーンって、「別腹!#3」(単行本15巻収録)の焼き直しになってますね。芸が細かい♪)
でも・・・城一郎のそんな思いに気付ける者はいなかったんですね・・・。
同僚で親友でライバルの堂島先輩でさえ。
それはやはり、城一郎が悩みや苦しみと言った気持ちを、言葉だけでなく表情にも出さなかったというのが大きかったのでしょう・・・。
そして堂島先輩も、城一郎を信じてくれていたのが皮肉にも仇になってしまうことに。
相手を信じていたからこそ気付かなかったこと、気付けなかったこと。
これは小説版第二弾のイサミ編でも扱われている件です。
食材を仕入れてくれる相手を100%信頼していたからこそ、目的の食材の旬を知らなかったという。
本来なら、相手の誇りを守り、相手の力にもなってくれる「信用」。
でも城一郎の場合は、それが逆に己を追い詰めることになってしまったのでしょう・・・。
そんな城一郎に“引き金”を引いてしまったのが今回の団体食戟だった、と。
・・・そりゃ「修羅」とも化しますよ。
必死に努力して努力して努力して苦労して苦労して苦労して。
なのに、そんな自分を周囲は「天才」というたった一言で片づけてしまう。
元々非常に好戦的だった城一郎。
少しずつ積もっていった「料理の上流世界の人間」に対する「怒り」や「反発」が遂に。
この闘いによって「敵意」になってしまったわけですね。
「天才」という面で見れば城一郎の他に挙げられるのは、えりなや葉山。
ですが。
えりなや葉山の「才」は舌や鼻といった生まれながらの体質的なものであったのに対し、城一郎の「才」はアイデア・発想といった「思考」。
アイデアや閃きなんていうものは、意図的に出せるようなものではありません。
どんなに頭を捻ろうが、自身を追い詰めようが、悩もうが、発想なんてものはそう簡単に次から次へと出てくるものではないんです。
それを思うと、城一郎は葉山よりもえりなよりも己自身を酷く擦り減らしていたに違いありません。
・・・その挙句に・・・
城一郎は料理人を殺してしまう料理人になってしまった・・・というわけですか。
安っぽいプライドばかり高いくせにすぐ諦めて自分を守ってばかりの人間に対する城一郎の怒りも蔑みも、よく分かります。
でも。
これは“端くれ”としての私個人の言い分ですが。
料理人は人を生かす(活かす)職業ですよ。
食は人を生かすもの。
食はお腹だけでなく心も満たすことが出来るもの。
ならば。
料理で人(料理人)の心を殺してしまうのは、料理人として決してあってはいけないことです。
改めて言わせてもらいます。
今回の城一郎の「修羅」の姿は、見ててただ苦しく、悲しかったです。