三重県松阪市…
ここは私の生まれた街である…
私が生まれたのは…
ここ松阪市であるが…
育った街ではない…
私が育ったのは…
海沿いの田舎町…
でも…
この松阪市で育った…
私の
尊敬する人がいまして…
ここ松阪の地で…
9歳から約10年間…
多感な青春の時期をここで暮したのが…
世界的にも大評価を受けた
映画監督
小津安二郎監督なんですよ!!
松阪市には…
小津安二郎監督が暮らしてたんだよ!!
…とのことを
私も…多感な青春時代に聞いて
何気に…私…
小津安二郎監督のことは…
フツーの人よりは
ちょいと詳しい…
小津映画の作品には
数多く触れたことがあり…
一度のみならず
2・3度は観たことのある作品も多いのよ!!
私の青春時代と
言えば…
それはそれは
洋画ブーム…
「フラッシュダンス」
「ゴーストバスターズ」
…などなど…
でも
これらの映画は…
その頃
ホントに
みたかったかというと
私個人的には…
???
…でありまして
ただ
女の子と
「デート」のついでに
みただけ…笑
その頃流行っていた映画なら
なんでもよかったのよ!!
それよりも
観たかったのが…
TVで観た「小津映画」
きっかけは…
おお、松阪市の人じゃん!!
(実際は違うけど…)
…名前を聞いたことがある!!…
小津安二郎さん知ってる!!
…一度みてみよう!!…
…ただそれだけのことだったんだけど…
みたら
…驚愕!!
…古い映画なのに…
なぜか惹かれる…
…これぞ!映画の原点!!!
…という気がして…
ホント
衝撃的だったのよ!!
モノクロ…
台詞が真っ黒な画面に白い字で現われる
…のも印象的だったな…
サイレントの映画もあったな…
さらに…
特に
印象的だったのが…
こだわりの
ローアングル!!!
摩訶不思議な
今までみたことのなかったような
個性的なアングル…
小津映画の魅力にどんどんハマっていく…
そんな…私の知らなかった映画の世界が…そこにあって…
これぞ
まさしく
「小津の魔法使い」…笑
(上手いこと言うた…笑)
小津映画の…
魔法…もとい…魅力にハマってハマって…
「大学は出たけれど」
「落第はしたけれど」
若い頃は
こんな喜劇で…
映画から伝わる微妙な笑いに…
なんとも言えぬ…
楽しさを感じていた…
で…
どんどん
小津作品にのめり込んで行く中で…
出会ったのが…
世界で称賛された
作品
「東京物語」
…それはそれは…
みなさんが絶賛するのと同じく…
感動そのもの…
小津監督の凄さ!
…にもう…言葉を失っちゃうほどだったんだな…
…というのは
観れば観るほど
味わい深い…
深い感銘を受け…
家族について
イロイロと考えさせられる…
なんて言うのかな
スルメのような…
映画なのよ…
観たのに
時がウン十年経ったら
また観たくなっちゃうような
そんな…映画なのよ!!
私の中で
繰り返してみたいと思った映画は
実は…
小津映画と
「タイタニック」だけ…!!!
さてさて
小津監督の代表作
「東京物語」
観終わった感想は…
なんとも切ない…
人間は…最後はひとりぼっちなんだな…
…って痛感させられる…
主役は
もう小津映画と言えば…この人
笠智衆さんと
つい最近…実にひっそりと…星になってしまってた
原節子さん!!
まあ…
小津映画の虜となった私としては
スクリーンの中の原節子さんにも「虜」だった訳で…
ストーリーは
老夫婦(笠智衆さん演じる「周吉」と「とみ」)が…
尾道から東京見物にと上京する…
しかし
町医者を営む長男夫婦や
美容院で働く長女夫婦は
日々の生活に追われ
実の親なのに…
上京がめんどくさいことであるかのように…
構うこともできずに…
むしろ邪険に扱う…
そんな老夫婦を
優しく出迎えたのが
二男の嫁だった…原節子さん演じる「紀子」だった…
しかし
二男は戦死し…
今…
「紀子」は未亡人…
要は…直接血の繋がっていない
「紀子」だった…
紀子はわざわざ仕事を休んで、2人を東京名所の観光に連れて行く
さらには
紀子は一人暮らしの質素なアパートに案内し
最大限のおもてなしをする…
そのときの
「周吉」と「とみ」の会話がいつまでも心に残る…
「子供も大きくなると変わるもんじゃ!
子供の時分はもっと優しい子じゃった…
でも、欲張ればきりがないが…
まあ…エエ方じゃよ!
わたしらは幸せですよ…」
こんなに…
せっかく上京しても
子供たちに…会えず…
温かく接してもらえなかったのに…
私たちは幸せだった…と言える
日本人的奥ゆかしさ…
子供が忙しくても元気に暮らしている…
会えなくても…それを知っただけで…
…それが…幸せ…だという…老夫婦…
満足して
尾道に帰っていく二人であったが…
老夫婦が帰郷して数日もしないうちに、「とみ」が危篤状態に…
子供たちが尾道の実家に到着した翌日の未明に、「とみ」は逝去する…
老夫婦とともに尾道で暮らしていたのは
教員で働いている
二女の「京子」
とみの葬儀が終わった後、
そそくさと…紀子以外は…東京へと帰っていった…
京子は…兄・姉に憤慨する…
しかし…
紀子は義兄姉をかばいながら
京子に諭す…
そんな紀子にも
東京に帰らなければいけない日が近づいてきた…
紀子が東京に帰る直前…
周吉は上京した際の紀子の優しさに感謝の言葉を表す…
それに対する
紀子の言葉は…まさに…
この映画クライマックス…
いつまでも…今でもこの場面は心に残っている…
「私、ずるいんです…お父様やお母様が思ってらっしゃるほど
昌二(戦死した二男)さんのことばかり考えてるわけじゃありません…」
「…この頃は、想い出すことも少なくなってきている…
いつまでも、このままじゃいられない…
一日一日が何事もなく過ぎていくのが淋しいんです…」
…いつまでも
亡き夫に縛られて後ろ向きに…生きようとせず…
まだ見知らぬ未来へ向かって
新たな人生を見据える「紀子」
それに
対比されるように…
紀子が去った後
茫然と一人部屋に座っている
周吉の姿…
理想では…
描かれない…
家族模様の
エンディング…
諸行無常…
孤独…
いろんな想いが溢れてくる
傑作だと思うのです…
そんな
小津安二郎監督が…
松阪で過ごした時の写真、日記、手紙が展示されてる
「小津安二郎青春館」に行ってきました…
小津安二郎監督の
人柄が…
映画にのめり込んでいく青春期が…
よく感じられて…
またまた
「小津の魔法使い」…笑
…に魔法を掛けられたようなステキな時間…
行けば…
小津さんの魅力に触れれば
必ず撮りたくなっちゃう…
ローアングルの写真…笑
もう…
小津監督になった気分で…笑
ここに…
校則違反を承知で通った
映画を上映する小屋「神楽座」があった
神社の境内も…
ローアングルで…
もう…
小津監督になった気分で…笑
これは
小津監督が幼少のころ
楽しみにしていた
松阪祇園祭のポスター
もう…
小津監督になった気分で…笑
もう…
小津監督になった気分で…笑
気分は…
小津監督そのもの…
でも…
私のそばには…
原節子さんのような女性は
いつまでも
あらわれず…苦笑…
でも
笠智衆さんのようなオジ―チャンとは
何人もすれ違ったけどね…笑
原節子さんのご冥福を心よりお祈りします…
合掌!
ここは私の生まれた街である…
私が生まれたのは…
ここ松阪市であるが…
育った街ではない…
私が育ったのは…
海沿いの田舎町…
でも…
この松阪市で育った…
私の
尊敬する人がいまして…
ここ松阪の地で…
9歳から約10年間…
多感な青春の時期をここで暮したのが…
世界的にも大評価を受けた
映画監督
小津安二郎監督なんですよ!!
松阪市には…
小津安二郎監督が暮らしてたんだよ!!
…とのことを
私も…多感な青春時代に聞いて
何気に…私…
小津安二郎監督のことは…
フツーの人よりは
ちょいと詳しい…
小津映画の作品には
数多く触れたことがあり…
一度のみならず
2・3度は観たことのある作品も多いのよ!!
私の青春時代と
言えば…
それはそれは
洋画ブーム…
「フラッシュダンス」
「ゴーストバスターズ」
…などなど…
でも
これらの映画は…
その頃
ホントに
みたかったかというと
私個人的には…
???
…でありまして
ただ
女の子と
「デート」のついでに
みただけ…笑
その頃流行っていた映画なら
なんでもよかったのよ!!
それよりも
観たかったのが…
TVで観た「小津映画」
きっかけは…
おお、松阪市の人じゃん!!
(実際は違うけど…)
…名前を聞いたことがある!!…
小津安二郎さん知ってる!!
…一度みてみよう!!…
…ただそれだけのことだったんだけど…
みたら
…驚愕!!
…古い映画なのに…
なぜか惹かれる…
…これぞ!映画の原点!!!
…という気がして…
ホント
衝撃的だったのよ!!
モノクロ…
台詞が真っ黒な画面に白い字で現われる
…のも印象的だったな…
サイレントの映画もあったな…
さらに…
特に
印象的だったのが…
こだわりの
ローアングル!!!
摩訶不思議な
今までみたことのなかったような
個性的なアングル…
小津映画の魅力にどんどんハマっていく…
そんな…私の知らなかった映画の世界が…そこにあって…
これぞ
まさしく
「小津の魔法使い」…笑
(上手いこと言うた…笑)
小津映画の…
魔法…もとい…魅力にハマってハマって…
「大学は出たけれど」
「落第はしたけれど」
若い頃は
こんな喜劇で…
映画から伝わる微妙な笑いに…
なんとも言えぬ…
楽しさを感じていた…
で…
どんどん
小津作品にのめり込んで行く中で…
出会ったのが…
世界で称賛された
作品
「東京物語」
…それはそれは…
みなさんが絶賛するのと同じく…
感動そのもの…
小津監督の凄さ!
…にもう…言葉を失っちゃうほどだったんだな…
…というのは
観れば観るほど
味わい深い…
深い感銘を受け…
家族について
イロイロと考えさせられる…
なんて言うのかな
スルメのような…
映画なのよ…
観たのに
時がウン十年経ったら
また観たくなっちゃうような
そんな…映画なのよ!!
私の中で
繰り返してみたいと思った映画は
実は…
小津映画と
「タイタニック」だけ…!!!
さてさて
小津監督の代表作
「東京物語」
観終わった感想は…
なんとも切ない…
人間は…最後はひとりぼっちなんだな…
…って痛感させられる…
主役は
もう小津映画と言えば…この人
笠智衆さんと
つい最近…実にひっそりと…星になってしまってた
原節子さん!!
まあ…
小津映画の虜となった私としては
スクリーンの中の原節子さんにも「虜」だった訳で…
ストーリーは
老夫婦(笠智衆さん演じる「周吉」と「とみ」)が…
尾道から東京見物にと上京する…
しかし
町医者を営む長男夫婦や
美容院で働く長女夫婦は
日々の生活に追われ
実の親なのに…
上京がめんどくさいことであるかのように…
構うこともできずに…
むしろ邪険に扱う…
そんな老夫婦を
優しく出迎えたのが
二男の嫁だった…原節子さん演じる「紀子」だった…
しかし
二男は戦死し…
今…
「紀子」は未亡人…
要は…直接血の繋がっていない
「紀子」だった…
紀子はわざわざ仕事を休んで、2人を東京名所の観光に連れて行く
さらには
紀子は一人暮らしの質素なアパートに案内し
最大限のおもてなしをする…
そのときの
「周吉」と「とみ」の会話がいつまでも心に残る…
「子供も大きくなると変わるもんじゃ!
子供の時分はもっと優しい子じゃった…
でも、欲張ればきりがないが…
まあ…エエ方じゃよ!
わたしらは幸せですよ…」
こんなに…
せっかく上京しても
子供たちに…会えず…
温かく接してもらえなかったのに…
私たちは幸せだった…と言える
日本人的奥ゆかしさ…
子供が忙しくても元気に暮らしている…
会えなくても…それを知っただけで…
…それが…幸せ…だという…老夫婦…
満足して
尾道に帰っていく二人であったが…
老夫婦が帰郷して数日もしないうちに、「とみ」が危篤状態に…
子供たちが尾道の実家に到着した翌日の未明に、「とみ」は逝去する…
老夫婦とともに尾道で暮らしていたのは
教員で働いている
二女の「京子」
とみの葬儀が終わった後、
そそくさと…紀子以外は…東京へと帰っていった…
京子は…兄・姉に憤慨する…
しかし…
紀子は義兄姉をかばいながら
京子に諭す…
そんな紀子にも
東京に帰らなければいけない日が近づいてきた…
紀子が東京に帰る直前…
周吉は上京した際の紀子の優しさに感謝の言葉を表す…
それに対する
紀子の言葉は…まさに…
この映画クライマックス…
いつまでも…今でもこの場面は心に残っている…
「私、ずるいんです…お父様やお母様が思ってらっしゃるほど
昌二(戦死した二男)さんのことばかり考えてるわけじゃありません…」
「…この頃は、想い出すことも少なくなってきている…
いつまでも、このままじゃいられない…
一日一日が何事もなく過ぎていくのが淋しいんです…」
…いつまでも
亡き夫に縛られて後ろ向きに…生きようとせず…
まだ見知らぬ未来へ向かって
新たな人生を見据える「紀子」
それに
対比されるように…
紀子が去った後
茫然と一人部屋に座っている
周吉の姿…
理想では…
描かれない…
家族模様の
エンディング…
諸行無常…
孤独…
いろんな想いが溢れてくる
傑作だと思うのです…
そんな
小津安二郎監督が…
松阪で過ごした時の写真、日記、手紙が展示されてる
「小津安二郎青春館」に行ってきました…
小津安二郎監督の
人柄が…
映画にのめり込んでいく青春期が…
よく感じられて…
またまた
「小津の魔法使い」…笑
…に魔法を掛けられたようなステキな時間…
行けば…
小津さんの魅力に触れれば
必ず撮りたくなっちゃう…
ローアングルの写真…笑
もう…
小津監督になった気分で…笑
ここに…
校則違反を承知で通った
映画を上映する小屋「神楽座」があった
神社の境内も…
ローアングルで…
もう…
小津監督になった気分で…笑
これは
小津監督が幼少のころ
楽しみにしていた
松阪祇園祭のポスター
もう…
小津監督になった気分で…笑
もう…
小津監督になった気分で…笑
気分は…
小津監督そのもの…
でも…
私のそばには…
原節子さんのような女性は
いつまでも
あらわれず…苦笑…
でも
笠智衆さんのようなオジ―チャンとは
何人もすれ違ったけどね…笑
原節子さんのご冥福を心よりお祈りします…
合掌!