徳川家康の生母、「於大の方」
初代の刈谷城主水野忠政の娘である於大の方が岡崎城主松平広忠に嫁いで竹千代(徳川家康の幼名)を生み、のち離縁された後、坂部城の久松俊勝へ嫁ぐまでの間、移り住んだといわれている
「椎の木屋敷跡」
に行く!!
場所は刈谷城址から北東の方面、亀城公園の駐車場から歩いていくのがベスト、道が狭くて、駐車場は縦列駐車なら2台停めれるスペースはあったかな…
私が訪問したときには、休日というのに誰もいませんでした
だけど、2023年のNHK大河ドラマが「どうする家康」だったので、この「椎の木屋敷跡」も2023年だけは、人がわんさか訪ねていたのでしょうか?
このあたりに大きな椎の木が何本も茂っていたことから「椎の木屋敷」と呼ばれるようになったそうな…
江戸時代には霊地とされ、一般の人の出入りが禁止され、鍵がかけられていたそうな…さらには、中には五輪塔が数基、そして地蔵尊が立っていたとか…
坂の入り口の左右に「旧蹟 椎の木屋敷跡」「徳川家康生母 於大の方由緒の地 この奥にあり」という石碑があって
この坂の上にあって、今では、公園に整備されています…
公園と言っても、遊具なんぞ一切なく…歴史公園ふうに整備されてて…
この説明解説板によると
この辺り一帯が「椎の木屋敷」と呼ばれていたようで、屋敷と言っても、城跡のように高台にあるのが、この図からわかります…
うっすら紅葉している樹木の中に、石碑やらが点在してて
椎の木屋敷の由来の石碑
そして、ここにどどんと石碑が…
「於大の方由緒の地」
実に歴史を感じる石碑…土台に蔓延る苔が、歴史の重みを感じさせますなあ
さらには、なにかか刻まれていそうで、写真を撮りましたが、何も刻まれていなかった巨石…
このあたりが日本庭園のようになっていたのかもしれません
おそらく、「於大の方」も眺めていたと思われる老木
その横、写真の右側に急勾配の石段があり下りてみたけど、その先は草が生い茂ってて、以前、このようなところに入っていって、ヤマトマダニに刺されて大変なことになったから、その先に進むのはやめておきました…ひょっとしたら、遺構らしきものがあったのかもしれませんが…
さて、以上紹介した「於大の方由緒の地」の石碑のある場所は、なんだか昔のまんまで、特別に整備されてる感じはありませんが…
細い道を挟んだ反対側には、ちゃんと公園として、整備されています…
東屋もあり、市民が、観光客がくつろげる施設…
まあ、誰一人いませんが…
石橋も架かっていて、整備された頃は、ここは池だった??のかも…
まあ、土を池に見立てた日本庭園風に整備しただけかもしれないけど…
さてさて、誰もいないと思いきや
この方が座ってらっしゃいました!!
「どうする家康」での松嶋菜々子さんが???
いや、実際は
17歳で家康を産んだ「於大の方」が…
時代の波に流され、離縁されたものの、我が子竹千代を思うような、この表情、実にこの像…
素晴らしいぞー(像)…って、このオヤジギャグ、小学生か!!
竹千代を産んだ後、実父の水野忠政が亡くなると、その後を継いだ兄の信元は松平家と手を切り、織田方に従うこととなる…
そこで松平広忠は今川家から圧力を受けることを恐れて於大の方と離縁し、実家の水野家に帰すことに…
それは、竹千代がまだ3歳になったばかりの頃だったとか…
そんな「於大の方」の像がここに…
みなさんも刈谷にきたときは、この「於大(おだい)」の像を、ぜひみにきてちょ於大(おだい)…??
もとい、ぜひ、みにきてちょーだい…な