新緑の風が吹く

 新緑の季節である。
「萌える」という言葉の語源は「燃える」なのではないかと思うくらい、山々は、新しい緑が燃え立つようだ。
 競い合うように、木々がいっせいに新芽を吹いた山が眩しく美しいのはもちろんのこと、ごみ捨て場の横の、日当たりの悪い場所で、いかにも発育の悪そうなひょろひょろとした柿の木が、それでも細い枝の先っちょに、きれいな新しい葉を数枚つけているのを見れば、ああ、ここにもとほっとする。
 一秒でも目をそらさずに見ていたいほど、新緑の山がきれいだと思うけれど、なぜ、新緑とか、紅葉とか、あるいは海に沈む太陽とかを、人はきれいだと思うのだろう。進化論の本を読んだりすると、生物は、種の存続に有利なように有利なようにと、進化を遂げてきたという。眼下に広がる雲海を美しいと思っても、なんら種の保存に役に立つとは思えない。人の大脳皮質が発達する過程で、ちょっとした「進化のいたずら」みたいなことが起こったのだろうか。
 猫に、「美しい」という感情があるだろうか。昔撮った写真の中に、実家のデビンちゃんが、桜の木の下でうっとりとした表情を見せているものがある。ちゃめが屋根の上にたたずんで、じっと遠くを見つめているのは、空に流れる雲を見ているのかもしれない。ただの擬人化に過ぎないかもしれないけれど、そうやって、猫と美しいものを共有している時間というのは、とても心地いい。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )