おせっかいな新潮文庫

 新潮文庫を買ったら、帯に「文字が大きくなって読みやすくなりました」と、新旧のページの見本が並べて示してあった。
 新潮文庫は、字体や、行間の幅などのレイアウト、紙の色や、栞ひもがついているところが好きであるから、ますます読みやすくなったというのは誠に結構なことであるけれども、如何せん、中身についても読みやすくしようというつもりなのか、最近の新潮文庫は、注釈やルビの数もおせっかいなほどに多いと思うのである。
 もちろん、親切な注釈が増えるのはよいのだけれども、最近の新潮文庫の注釈は、親切を通り越して、おせっかい、ありがた迷惑で、作品の味わいを損なうようなものさえある。
 ほとんどの人が知っているような言葉にもアスタリスクが付けられているので、何か、その本が書かれた時代に独特な意味でもあるのかしらと思って巻末の注釈を見ると、ただ、普通の用語解説がなされている。
 あるいは、作者が婉曲に表現するために選んだ言葉を取り上げて、ずばり説明を加えてみたり、情景の描写が表している作中人物の心理を解説したり、さらには、本の最初で物語の結末をばらすような注釈をつけたりと、まるで、読解問題の解答のようで、作品の持つ奥ゆかしさとか趣とか、そういったものを台無しにしている。注釈を見て、はじめてわかることもあるけれど、わからないまでも、私は生の作品をそのまま受け止めてみたいと思っている。
 若い人たちのことを考えて、そんな注釈をつけているのかもしれないけれど、本が好きな子供なら、読めない漢字やわからない言葉は自分で辞書で調べるだろうし、知らない言葉の意味を前後の文脈から推測したり、文中の表現が何を比喩しているのか自分で考えるということは、国語力を伸ばす上で、とても大事なことだと思う。それを、全部先に並べて示してしまっては、自分の頭で考えることがなくなってしまう。新潮社が、教育的な配慮のつもりでおせっかいな注釈をつけているのだとすれば、それはまったく逆効果ではないかしら。
 もっとも、読書嫌いな子供たちには、丁寧な注釈とルビは有効であるだろう。しかし一冊の本で、読書嫌いな層と一般の読者層をカバーしてしまおうというのは、無理がある。入門書的な、より親切な解説のついた別の版を出すべきである。
 無視しようと思っても、星のようにちりばめられたアスタリスクが目に付いて、文豪たちが苦心の末に生み出した、清い流れのような文章は、しばしば、その流れを止められてしまう。
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