太宰治「斜陽」

 通っていた中学は、姉妹校同士が成績のよさを競い合っていたために、教育熱心で、年中いろんな行事があり、夏休みの宿題もどっさり出た。
 その大量の宿題を、夏休みの最後の日まで放っておいたので、8月31日は、徹夜のやっつけ仕事であった。主なもので、読書感想文が二本と、歴史の人物年表、音楽鑑賞文、理科の自由研究などがあった。
 さすがに読書感想文の本はもう少し前の日から読み始めていたのだけれど、それでも切羽詰っていたから、指定図書の一覧の中から、比較的薄い本を選ぼうと思って、たまたま家にあった文学全集か何かに収録されていた、太宰治の「斜陽」をまず手に取った。が、五、六頁ほど読み進めて、真の貴族たる「お母さま」がお庭の萩の茂みでおしっこをするあたりで、とても感想文は書けないと思い、やめてしまった。「斜陽」をやめて、結局どの本を読んだのかは忘れた。
 その「斜陽」を、この前、読んだ。さすがに二十年の月日を経たあとでは精神構造も多少は高度になったと見えて、今回は面白く読めた。中学生の時には、訳もわからずちっとも面白くなくて、それこそさわりの部分しか読んでいないから、没落した貴族の静かな物語なのかと勝手な印象を持ち続けていたら、激しい展開に驚いた。
 が、面白いけれど、わからない。「斜陽」の登場人物それぞれに現れる太宰の悩みとか、思想とか、生き方について、せつなさを感じたりはするけれど、どこか食い違っているような違和感があって、共感を得たり、感銘を受けることはできない。
 太宰治と私の生きている時代があまりにも違うからか、単に私の読解能力がまだまだ足りないためか、はじめて「斜陽」の頁を開いた中学生の夏の日から二十年近くが経ったけれど、まだまだ読書感想文は書けそうにない。
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