水に落ちる虫

 夜の庭に向かって開いている窓の網戸に、虫の大きな羽音がしたので、みゆちゃんが走って見に行った。羽の唸る音はすぐ静かになったが、みゆちゃんは網戸のそばにじっと座って、外の闇を注視していたから、飛んできた虫が窓の近くに着地して、動いているのだろうと放っておいた。
 次の日の朝、庭に出たら、網戸の下のめだかの鉢に、大きな甲虫がぷっかり浮かんでいた。昨夜、羽音がしなくなったのは、水に落ちたためだったのかもしれなかった。肢をだらりと伸ばして、じっと浮いているので、もうだめかと思って拾い上げたら、動き出して、指を強い力で掴んだ。光沢のない薄い茶色の立派なやつで、鹿の角を小さくしたような、偉そうな触覚を生やしていた。嫌がる甲虫を指から引き離して、庭の羊歯の葉の上に止まらせておいた。
 去年の秋口だったか、母が右手の人差し指に絆創膏を巻いていたので、どうしたのかと尋ねたら、蜜蜂に刺されたのだといった。なぜそんな指先をと不思議に思って話を聞けば、実家の玄関の脇に置いてあるめだかの鉢の中に蜜蜂が落ちていたのを、木切れか何かですくい上げればよかったのに、不用意に素手で拾い上げてやったところ、蜂は母の指を刺して、死んでしまったのだそうである。
 蜜蜂は、一度刺すと、針が抜けなくなって、死んでしまう。昆虫に、なんら複雑な思考はないだろうから、おそらくは、その蜜蜂も、ただ驚いて、とっさに本能的に母の指を刺したのだろうけれど、母の話を聞いて、溺れ死ぬことを免れたばかりの蜜蜂が、なぜ自ら死ななければならなかったのか、私は納得ができなかった。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )