海をのぞく

  昨年も、一昨年も、子供が小さかったりして海には行けなかったので、今年はきっと行きたいと思う。
 子供の頃は、夏休みのたびに、よく海に連れて行ってもらった。海に行って何をするかと言えば、水中メガネをつけて、海の中を覗くスノーケリングである。だから、きれいな砂浜がどこまでも続く海よりも、生き物の多い、岩場のある海の方がいい。
 夏の太陽が照らせば、明るい緑色の水の中に幾筋もの光が射して、光のカーテンの中を泳いで行くようである。足ひれを使って進んで行くと、水のなかほどにとりとめもなく浮かんでいる海草や、ふよふよとした半透明の水くらげが、前方から後方へと、体の横を流れ過ぎて行く。透明な体のいかの子が、澄ました顔をして、水中に整列していることもある。目を下に転じれば、青い海の底を、時折、大きな魚が何かをつつきながら泳いでいる。
 岩場に寄れば、縞模様の可愛らしい魚や、岩に張り付いた愛嬌のあるハゼの類、不思議な色の小さなウミウシや、波にもまれながら、懸命にみんなで離れまいと泳ぐクサフグの稚魚の群れがいる。
 こんな生き物たちを見ていたら、いつまでたっても飽きなくて、日が暮れて、空も雲も、静かに寄せる波も赤く染まる頃に、乾いた砂の上に座って、まだ帰りたくないといつも思うのだった。
 もっとも、今年は海に行けたとしても、まだ子供が小さいから、スノーケリングは無理だろうけど、いつか一緒に海の中を覗ける日が来るのを、楽しみに待っている。
(トラックバック練習板:テーマ「夏休みの予定」)
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ハリポタ前夜

 明日、ハリー・ポッターの最終巻がついに刊行される。
 私もハリー・ポッターシリーズの愛読者で、読み始めたのは第4巻までが出ていた頃、1巻から4巻まではペーパーバックで読んで、5巻以降は、ペーパーバック版が出るまで待ちきれずに、予約して発売と同時に入手して読んでいる。
 ストーリーの面白さもさることながら、物語に味を添える数々のユーモア、また、主人公の少年たちが成長していく様子も興味深い。
 そのシリーズ最終巻の発売を間近に控えて、ハリー・ポッター関係のニュースをよく目にする。シリーズを終わらせないで欲しいと著者に懇願する署名がどれだけ集まったとか、中国では、最終巻の発売に先駆けて、本編とはまったく関係のない恋愛モノの「にせハリー・ポッター」が出回っているとか。
 米国では、キリスト教徒のあいだで、ハリー・ポッター肯定派と否定派の議論が紛糾している。否定派の言い分は、物語が反キリスト教的な魔術や魔法使いといったものを中心的な要素にしていることだという。
 愛読者である私も、一部、ハリー・ポッターに対して否定的な見解を持っている。それは、ハリー・ポッターシリーズが、児童書であるという点だ。
 楽しい雰囲気が漂う物語の前半は、それでよかったかもしれないけれど、後半に入ってからは、すぐに人が死んだりして、子供向けとしては少し暗い面が強すぎる。話の筋がわかってしまうので詳しくは書かないけれど、学校の生徒がいとも簡単に殺されたり、人を愛すること、人を信じることをモットーとしてきた人物が、裏切られた末に殺されたりして、現実の世界とは、そういうものなのかもしれないが、せめて本の中くらい、子供たちに夢を与えてほしいと思う。
 また、作者のJ.K.ローリングが、最終巻では主要登場人物が二人以上死ぬ、などと予告しているところも気に食わない。まるで、児童作家の癖に、人が死ぬのを呼び物にしているみたいで、聞いていていい感じがしない。
 が、しかし、私が疑問を抱いているのは、ハリー・ポッターが子供向けだという点だけで、やはり面白いことには変わりがないから、早く新刊が手元に届かないかと、わくわくしながら待っている。


ニュースを斬る ハリーに揺れる米キリスト教原理主義 ハリー・ポッターへの反発が映す米国政治の構図(日経ビジネスオンライン) - goo ニュース
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