そして誰もいなくなった―アゲハのその後

 大きな美しいアゲハの母さんが、庭のグレープフルーツの木の葉に産んでいった小さな卵は、それから五日ののちに、黄色い色が黒っぽくなって、内部で発生が進んでいることをうかがわせると、その次の日に、とてもちっぽけなあおむしが生まれた。が、このあおむしは、数日経って、天敵に襲われたのか、いなくなってしまった。
 それと前後して、先代の、終齢幼虫にまで育った幼虫は、小さな鉢植えの山椒の木の葉をすべて食べつくしてしまったので、実家から急遽もらってきた山椒の木の枝に乗せて、蜂から守るために部屋の中に置いておいたのだが、ある日、蛹になるために外へ出て行ったまま、行方が知れない。
 その幼虫が去ったあとの山椒の枝を、不精な性格と、植木の知識がないくせに、挿し木にはならないかしらという期待からしばらくそのまま放っておいたら、やはり挿し木にもならず、だんだんと枯れはじめ出した頃、枝のいろんなところに、十匹ほどの小さな幼虫がまたもやついていることを発見した。しばらくのあいだ、山椒の枝ごと幼虫を外に置いていたので、そのあいだに卵を産みつけたらしい。
 正直なところ、虫に思い入れを深くして、蜂に取られやしないか、蛹になる場所はどこがいいか、などと悩むことに少々疲れてきていたので、この十匹の幼虫は、再びあたらしい芽を伸ばしはじめた小さな鉢植えの山椒の木や、グレープフルーツの葉っぱの上に、それぞれ分散させて乗せておいた。
 自然界には、敵がいっぱいなのかもしれない。十匹の幼虫はどんどん数が減って、三匹の幼虫だけが、一センチくらいの大きさにまで育った。基本的には放任の姿勢で、食べるものがなくなった場合には、あたらしい山椒の鉢でも用意してやろうと思っていたら、この三匹もいつの間にか姿を消して、とうとう誰もいなくなった。
 蜂か鳥か、まさかみゆちゃんではないだろうけれど、世話までするのは面倒くさいと思っていた幼虫だが、いなくなると少し寂しい。
今日、家の前の道を、おとなのアゲハが横切って飛ぶのを見た。あの、蛹になるために外へ出て行った幼虫の、見違えるような姿であればいいなと思う。
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