肩乗り猫・肩乗り鳥

 お散歩猫ついでに、肩乗り猫というのもいる。実際に二度、公園と本屋で、肩に猫を乗せて歩いている人を見たことがある。身内の者も何度か目撃したことがあるそうで、その証言によれば、猫を肩に乗せて自転車に乗っている人までいるらしい。この目撃数からすると肩乗り猫というのは意外といるようだが、うちの猫たちの中で肩乗り猫になれそうなのは一匹もいない。だいたいどの猫も言うことを聞かないから、肩に乗せて外に出ようものなら、すぐにどこかへ跳んで行ってしまいそうだ。みゆちゃんは子猫の頃、ときどき肩の上に乗ったりもしたが、今ではまったく乗らないし、膝の上に来るのさえ暖を取るときだけである。お散歩猫のポチならもしかして、と思ったが、ポチは知らない人をこわがるし、そもそも重すぎるのでやはり無理である。
 私の見た肩乗り猫は、二匹とも真っ白な長毛種の猫で、ふわふわの白いマフラーみたいであった。たぶんペルシャ猫ではないかと思う。ペルシャやヒマラヤンなど毛の長い洋猫は、性格がおとなしく従順であるらしい。
 
 鳥を肩に乗せている人もいる。ある時大阪の街を歩いていたら、緑色のインコを肩にとまらせた人が、一輪車で人ごみを走りぬけていくのをみた。その人は芸人だったかもしれないが、近頃は鳥専用のリードまであるそうで、友人Sは愛鳥のオカメインコを肩に乗せて散歩に連れて行けるよう、目下訓練中である。
 十年ほど前、飼っていたセキセイインコが肩に乗っているのを、母がうっかり忘れて外に出てしまい、セキセイインコはそのまま飛んでいってしまった。さぞかし空は広かっただろう。
 猫はとび出して行っても帰ってくるとは思うが、肩乗り猫を試すのはやめておこう。
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みゆちゃんの夜遊び

 箱入り娘だからと、みゆちゃんの夜遊びは禁じていたのだが、この夏のはじめ頃、夕方ひょいと庭へ出てしまいそのまま暗くなるまで遊んでいたのがきっかけで、うやむやになってしまった。夜遊びと言っても庭で遊ぶだけで、うちの庭は周りを高い塀が囲んでいるから外へ行ってしまうことはない。また、とくに夏の日は昼間暑くて外で遊ぶことができないから、門限を十一時に決めて夜遊びを許すことにした。
 部屋の明かりに集まってくる虫などが日中よりも多いのだろう。みゆちゃんは追いかけ追いかけ、大はしゃぎで走り回る。せまい庭を右から左へ駆け抜けたと思ったら、次は左から右、さらに木に駆け上がって飛び降りる。こんなに全身で楽しんでいる姿を見ると、今まで禁止していて悪かったなあと思う。
 みゆちゃんが塀の下の雑草が生えた辺りへ飛び込み、ごそごそやっていると思ったら、庭の中央へ歩いてきて、口にくわえていたものを置いた。何かを捕まえてきたようである。きちんと座って、その捕まえてきたものをじっと観察している。同じようなことを以前実家猫のデビンちゃんがやっていた。どこかからアマガエルを捕まえてきて、部屋の真ん中に置く。カエルがぴょんぴょん跳ねて逃げるのを眺め、カエルが部屋の隅っこまで行くとすかさず捕まえて、また部屋の真ん中に置く。カエルが跳ねるのが面白いのである。
 みゆちゃんは何を捕まえたのだろうと、庭に降りて見に行った。みゆちゃんの視線の先にいたのは、ヤモリのこども。かわいそうに、すでに尻尾が切れている。みゆちゃんには悪いが、手を出そうとするみゆちゃんを抑えてヤモリを横取りし、手のひらに隠して木の高いところへ逃がした。不服顔のみゆちゃんだったが、あきらめて別の遊びを探しに行った。
 今日もみゆちゃんは、手の届くはずのない塀の高いところにいるヤモリを獲ろうと、頑張っている。
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どんぐりころころ

 一歳の息子を連れて公園で遊んでいると、向こうから背のしゃんとしたおじいさんが歩いてきた。公園を横切って、ずんずんこちらへ近づいてくる。穏やかではない時勢である。私は身構えた。
 とうとうおじいさんは私たちの前に立ちはだかり、節くれだった手を目の前ににゅうっと突き出すと、握っていたこぶしをゆっくり開いた。手のひらには、背の高い立派などんぐりがたくさん載っていた。
「あげる」と少し恥ずかしげに言うおじいさんに、まだぶきっちょの息子はぎこちなく手を出しかけたまま、もらうべきかと思案顔。おじいさんは傍の遊具の上に転がり落ちそうなどんぐりを置いて、足早に去っていった。
 どんぐりを両手につかんで息子に渡すと、座り込んだ地面に散らばせて、つまんだり、落としたりして遊んでいる。が、ふと見ると、息子はどんぐりを口の中に入れていた。
 慌てて口の中から取り出した。まだなんでも口に入れてしまう息子なので、どんぐりを持たせるのは早いかもしれない。おじいちゃんにもらったこのどんぐりはどうしようか。公園にはほかに二歳くらいの女の子が二人遊んでいたので、彼女たちにあげようかしら、などと考えているうちに、女の子たちは帰り支度をして行ってしまった。私はどんぐりをポケットに入れて、まぶたの重くなってきた息子を抱いて家に帰った。
 帰宅して洗面所で手を洗っているときに、ポケットのどんぐりを思い出し、つかみ出して洗面台の上へ置いておいた。
   *     *     *     *     *     *
 何日か経って、洗面台のどんぐりの数が少なくなっていることに気がついた。それから毎夜毎夜、七つ八つあったどんぐりが、一個ずつなくなっていくのである。
 もちろん、誰の仕業かは目星がついている。昼間、私の椅子の上で丸くなって眠っている白っぽいのがあやしい。
 夜、洗面台の方からころころ、ころんと音がしたと思うと、廊下をみゆちゃんがどんぐりを転がしながらすごいスピードで走ってきた。思ったとおりである。板の床の廊下はよく転がるので、どんぐりサッカーをして遊んでいる。
 洗面台の上にどんぐりを二つ残して、みゆちゃんはこの遊びに飽きてしまった。転がしたどんぐりのうちの二個は玄関で見つかったが、残りは行方知れずである。
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化石携帯(トラックバック練習板)

 もうすぐ使って5年になる。契約してから一度も機種変更をしていない。携帯の進歩の速さから言えば、もう化石みたいなものだろう。携帯会社は二度の社名変更を経てSoft Bankとなったが、私の携帯にはいまだJ-PHONEと明記されている。携帯の通話料金が高いのは、安く機種変更できるようにするためだということを知って、なんだ、それじゃあ私みたいなのは大損じゃないかと、機種変更する気にもなったが、まず面倒くさい。店に行くのも面倒くさいし、新しい携帯に変えて、何百ページもある説明書に取り掛かるのも億劫である。だいたい、新しい機種にあまり興味がない。携帯は本来の機能である電話とメールにしか使わないのである。
 愛着もある。物に対して愛着を抱きやすい方で、たとえば今乗っている車でも、12年型のシビックだが、可愛くて手放しがたく、買い換えたいと言う夫に渋い態度をとり続けている。幼い頃、居間のじゅうたんを買い換えるときに大泣きしたと言うから、この性格は昔からのようである。
 最近、一歳になった息子がすきあらば携帯を手に取りかじっているせいか、時々操作がおかしくなる。ついに現役引退のときが近いのかもしれないが、しかしそう思うとますます、依怙地になってこのスティック型携帯を使い続けたくなるのである。
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お散歩猫

 “犬猫”ポチが父と散歩をすることについて書いた。しかしもっと犬らしく散歩に行く猫もいる。引き紐をつけて主人と散歩する猫だ。
 以前、道を歩いていると、前方に引き紐をひいて歩いているおばさんがいた。その姿にどこか違和感がある。普通なら下方に向かってのびるはずの引き紐が、上に向かってのびていたのである。紐の先にいたのは猫。建物の塀の上を歩いていた。
 知り合いの猫も、引き紐をつけて散歩すると言っていた。小さい頃から慣らしていくと、そういう芸当ができるらしい。
 昔飼っていた犬の引き紐を使って、実家の猫に試してみたことがある。その頃やんちゃ盛りだったネロにつけると、紐に従うどころか暴れ出した。紐に噛みつき、後ろ足で蹴っ飛ばして脱け出した。猫の中の猫だと言わんばかりの服従心のなさである。次に無気力なデビンちゃんにつけてみると、わかっているのかわかっていないのか、うずくまってその場から動かなくなってしまった。
 我が家で室内飼いをしているみゆちゃんには、引き紐で散歩などとうてい無理だろうが、一緒に外を歩くことができれば、どんなにいいだろうと思う。
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お散歩ポチ

 ポチは父と散歩へ行くのが大好きだ。ポチとは犬ではなく、実家の猫である。
 父が近所へ買い物に行くときなど、ポチはたいていついて来る。とっとことっとこ、短い足で歩調をあわせ、道の端っこを父と平行に歩いていく。建物と建物の間などにいくつかポチ指定の避難場所があって、車や自転車が通るとそこでやり過ごす。途中、道のはずれで寝転がって父にお腹をなでてもらったり、散歩はなかなか進まない。
 家の前の道路をしばらく行って、大通りに出るところまで来ると、ポチは止まる。そこから先へは一緒に行かず、少し手前の避難所で父を待っている。建物の間から首だけひょいと出して、様子を窺っている。
 父が買い物を済ませて戻ってくると、30メートルほど手前でその姿を認めて、にゃーと大声を上げて走ってくる。帰り道は父の横にべったりだ。このときの歓迎の度合いは、父をどれくらい待ったかに比例する。父がすぐに戻ってきたときには感動も薄い。父を見つけてものそのそ歩いてくるだけで、帰り道も、父のうしろを道草食い食い、離れてついて来る。
 用事があって出かけるとき、父はポチに見つからないよう忍び足で家を出る。見つかると、ポチがついてきてしまうからだ。見つかってしまったときにはしかたがない。やむを得ず、父はいったんポチと散歩に行き、帰ってきてから出直す。しかたがないと言いながら、父はそんなポチをとても可愛がっている。
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雨の庭に

 雨である。
 雨が降るとナメクジがよく出る。普段どこに隠れているのやら、大きいもの小さいものが庭のあちこちに現れる。以前みゆちゃんが雨上がりに庭遊びをして、背中に一匹乗せて帰ってきたこともあった。
 殻があるかないかで、カタツムリとナメクジの処遇は雲泥の差である。殻があれば、愛嬌があると童謡にまでなっているが、殻がなければ害虫として嫌われる。ナメクジという名前自体悪い。たとえば「イエナシカタツムリ」とか言うふうに、もっとカタツムリの仲間であることをアピールするような名前だったら、もう少し印象が違うと思う。
 ナメクジは広東住血線虫という寄生虫の中間宿主になる。この寄生虫は、もともと熱帯・亜熱帯地域に生息するものだが、宿主のアフリカマイマイと一緒に輸入されて、今では全国の港湾にみられるという。日本での人への感染例は、この三十年ほどで五十数件であり、ナメクジやカタツムリに対して過度に神経質になる必要はないが、一歳の息子はまだ何でも口に入れてしまうので、雨の日はみゆちゃんの庭遊びを禁じている。
 そんなこんなで私はナメクジが嫌いだが、この夏、滋賀県内の山へ滝を見に行ったとき、もっと気持ちの悪いナメクジ様のものに接触した。足場の悪い川沿いを歩いていて岩に手をついたとき、小指に何か岩とは異質な感触がした。見ると、長さ三センチほどのナメクジみたいな生き物が小指の先にいた。人里に住むナメクジの唯一のチャームポイントであるとび出た目もなく、全体にぬるっとして半透明である。山のナメクジはこんなに気持ち悪いのか。急いで接触した小指を谷川の水で洗い流した。
 結局これはナメクジの仲間ではなかったようだが、これを見たおかげで、両目のにゅっと突き出た家のナメクジが、まだまだかわいい部類なのだと思えるようになった次第である。
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猫のポチ

 実家にポチという猫がいる。なぜ猫なのにポチかというと、彼が非常に犬っぽいからだ。
 よく犬と猫の性格の違いを表すのに、犬は素直で主人に服従する、猫はわがままで服従しない、などと言われるが、ポチは猫よりも犬の性格がより顕著である。
 犬の目を見ると犬はすぐに目をそらすが、猫の目を見ると猫は勝気な目でじっと見返してくる。かなり気を入れて見つめないと、こちらが根負けしてそらしてしまうくらいだ。しかし、ポチはすぐに目を伏せる。これは犬の反応である。
 たいていの猫は、名前を呼んでもすぐには来ない。なでて欲しいとか、猫自身と利害が一致している場合には、仕方がないというような顔でのそのそ歩いて来るが、そうでない場合はまず来ない。返事をするのはいい方で、耳だけ動かしたり、尻尾の先を「はいはい」とうるさがるように一振りさせるだけである。猫は本当に言うことを聞かない。ところがポチはすぐに来る。尻尾こそ振らないものの、犬のように喜んで走って来る。
 また、短い距離ではあるが、ポチは父と散歩に行く。犬と違って、散歩に行く猫というのはあまりいない。父が散歩に出かけると道の横をとことことついて来る。その様子を見た隣家のおじさんも、散歩する猫とはめずらしいですなあと、感心していたそうである。家の前の道の曲がり角まで来ると、ポチはそこで止まり、その先へは行かない。行かないが、そこから先へ行ってどこかを回ってきた父を、帰ってくるまで待っている。なかなかの忠猫ぶりである。
一見、ポチはこわそうな猫だ。黒いマスクを被ったような幅広の顔に、むすっとした目がついている。そして大きい。体重が七キロ近くある。それでいて、とても甘えん坊でこわがりである。
 何年か前の冬、ポチはどこからともなく家にやってきた。ある晩、見慣れない猫が外飼い猫用の餌を食べていた。黒々とした大きな体に、ちょっと目つきの悪そうなこわい顔。裏口を開けると、猫はさっと逃げてしまった。それがポチだった。
それから時々、その大猫が訪ねてくるようになった。しかし戸を開けるとすぐに逃げてしまう。
 そんなある日、私の姿を見てひとまずは逃げたポチだったが、十メートルほど先で立ち止まり、意味ありげな目でこっちをじっと見た。怖がらせないように、私はそろりそろりと近づいていった。間合いが数メートルになると、猫はまたとことこと逃げる。そして立ち止まり、またこっちを見る。私が近づく。猫が逃げ、振り返る。それを繰り返し、だんだんと距離が狭まっていった。最後に私が近づくと、ポチはもう逃げなかった。逃げるどころか、いきなりごろんと横になり、「なでてくれ」のポーズをとったのである。私はその大きな黒白の体をなでてやり、私たちは友達になった。
 それ以来、ポチは家に居つくようになった。一日のほとんどを、家の敷地で過ごしている。最初のうちは外猫チャプリと仲が悪く、ポチの出現でチャプリはかなり迷惑していたが、今ではすっかり打ち解けて、父の作った猫ハウスで二匹一緒に寝る仲である。
 ポチの話を友人にすると、友人は「それって、犬猫」だと言った。犬っぽい猫というのは時々いるもので、そういう猫を「犬猫」と呼ぶらしい。
 犬猫ポチは忠猫であるが、まだ「お手」はしない。


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パッちゃんの子猫(後篇)

 子猫の里親が見つからないまま、時間だけが過ぎていった。
 そんなある日、私は友達から合同コンパを企画して欲しいと頼まれた。そこで大学の研究室の男子学生を数人誘って、コンパをすることになった。
 コンパの席で、動物の話題になった。学生のK君はとても動物が好きで、子供の頃ハムスターと一緒に寝たくて無理矢理布団に連れていったけれど逃げられたという話をした。
 ほとんどの学生はマンション暮らしであるのでおそらく猫は飼えないだろうと、学生は里親探しの対象からはずしていたのだが、もしかしてと思い、聞いてみた。
「僕、猫と暮らすのが夢なんですよ」
夢のような答えが返ってきた。すかさず、持って来ていた里親探しの写真つきビラを渡した。
「かわいいなぁ」ビラの写真を、じっと見つめている。
そこで、猫がどんなに可愛いか、猫と暮らすとどんなに楽しいかを力説した。K君の心が傾いてくる。住宅事情も大丈夫だという。私はさらに猫を飼うことを勧めた。
やがてK君がぽつりと言った。猫は無責任に飼えるものではないので、一晩、考えさせて欲しいと。確かにそのとおりだった。生き物の命を預かることについてきちんと考えてくれるK君が子猫をもらってくれたら、どんなにいいだろうと私は思った。
次の日、K君からの返事の電話を待った。期待と、どうせまた駄目だろうという諦めがない交ぜになっている。携帯が鳴った。K君からだ。どきどきしながら出る。
「よく考えたんですが…」という切り出し。ああ、駄目だ、やっぱり無理です、と続くにちがいない。
「猫、もらうことにしました」
 耳を疑った。やっと、やっと里親が見つかった。肩の荷が下りて、気持ちがすうっと軽くなっていった。
私は何度も礼を言って、子猫を引き渡す段取りを決めた。
 こうしてK君の家にもらわれていった子猫だが、やはり最初はベッドの下に籠城した。子猫が出てこないのですが、というK君の電話。私は、うちに連れてきたときもそうだった、三日もすれば出てくるはずだと答えた。
 ところが、三日経ち、四日経っても子猫は頑張ったままである。K君に申し訳なく思いながら、そのうち出てくるから気長に構えて欲しいと頼んだ。
 結局ベッドの下から子猫が出てきたのは、一週間が経ってからであった。それからはすっかりK君になついた。膝の上に乗って甘える。夜は一緒に眠る。子猫は太郎という名前をもらった。
 小さかった太郎も、大きくなった。大型タイプの猫である。大きいが甘えん坊で、K君と仲良く暮らしている。彼にもらってもらい、本当によかった。
 ちなみに、合同コンパのあと付き合いが始まったというメンバーは誰もいなかった。ただK君が、恋人ではなく猫を得たのである。
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パッちゃんの子猫(中篇)

 幸い、Sさんの知り合いで最近飼い猫を亡くしたという人が、子猫を引きとってもいいと言ってくれた。どうせ保護するなら早い方がいい。子猫を運ぶための段ボール箱を持って、駐車場へ向かった。
 この頃になると子猫もだいぶなついてくれて、体をなでると仰向けにひっくり返っておなかを見せ、抱っこもさせてくれるようになっていた。
 ところが、段ボール箱に入れた途端、大暴れした。突然真っ暗な箱の中に閉じ込められたのだから、怖がるのも無理はない。にゃーにゃー泣き叫び、ふたをぐいぐい頭で押し開けようとする。可哀想だったが、ちゃんとした人に飼われた方がこの子のためなのだと自ら言い聞かせ、家に連れて帰った。
 私の部屋で箱のふたを開けると、脱出口を求めて部屋を一周したあと、ベッドの一番奥にもぐりこんで、出てこなくなってしまった。
 ねこじゃらしで誘ってみたり、床の上にカンヅメやおいしい食べ物を置いてみるが、頑として出てこない。しばらく部屋を留守にして戻ってくると餌が減っているので、食べてはいるようである。
 そういう状態が三日三晩続き、ようやく子猫は少しずつ心を開きはじめた。ねこじゃらしを動かすと、ベッドの下から手を出して捕まえようとする。はじめは手だけだったのが、手と頭になり、体全体が出てくるようになった。ちょっと出てはまたすぐ隠れてしまうのだが、それでも徐々に、ベッドの外にいる時間が長くなっていった。
 そんな折、事態は思わぬ方向へ転んだ。子猫の飼い主となってくれるはずだった人の都合が悪くなって、子猫を引き取ることができなくなってしまったのである。
 当時、うちにはすでに六匹の猫がいたのでそれ以上は飼えなかったし、Sさんの家にもオカメインコがいるので無理だった。一から里親探しをしなければならない。
 家族全員で猫を飼ってくれそうな知り合いに当たってみた。里親探しの掲示板にも記事を出し、また、写真を貼ったビラを作って行きつけの喫茶店に置いてもらい、客に聞いてもらえるようお願いもした。
 飼ってもいいかもしれないという話が何件か出て、そのつど期待が膨らんだが、結局どれもこれもお流れになり、肩を落とす日々が続いた。
 里親探しの困難さを身をもって痛感した。私が甘い考えで連れて帰った子猫の飼い主が見つからず、家族みんなが疲労困憊している。
 ただ子猫だけが元気だった。すっかり慣れて、おもちゃを追いかけ部屋を走り回っている。なでるとごろごろ喉を鳴らして仰向けになる。部屋の中を自由自在に探検し、ある時、あれ、いない、と思うと、机の引き出しの中で昼寝をしていたりする。子猫用の座布団を用意しているのに、夜になるとベッドに登って来て私の首の上で寝ようとするので、だんだんと睡眠不足になった。
 里親も見つからないまま、焦燥感だけがつのり、私たちの心身は疲労の色が濃くなっていった。(つづく)
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