ねこ絵描き岡田千夏のねこまんが、ねこイラスト、時々エッセイ
猫と千夏とエトセトラ
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ハチの巣攻防戦
2007年04月16日 / 虫
春になると、玄関の軒先や、庭のトタン屋根の下にアシナガバチが巣を作る。アシナガバチは大所帯だ。以前、軒先に空き家になった直径10センチほどの巣があったのを、もう使っていないからとたかをくくって放っておいたところ、知らない間にハチが住み着いて、巣も増設され、気づいたときには巣の表面に十数匹ものハチがはりついていた。あまり人が近づかない場所だったので、その年はそっとしておいたけれど、冬になってハチがいなくなったときに、次の年のことを考えて、取り除いておいた。
そんなこともあって、ハチが軒端に巣を作り始めると、大きくなってしまう前にすぐ取るようにしている。どうやって取るかというと、ハチが留守のあいだに、巣に虫除けスプレーを噴霧するのである。戻ってきたハチは、巣に嫌なにおいが染み着いているので、その巣は見棄ててしまう。そのあと、巣を取ってしまうのである。
そのままどこかへ行ってくれればいいのだけれど、また近くに新しい巣を作る。私はハチの留守を見計らって、また虫除けスプレーをかける。そういういたちごっこが、ハチの巣作りの季節が終わるまでのあいだ、しばらく続く。
つねに軒先やトタン屋根の下に目を光らせて置かないと、ハチはすぐに巣の幾部屋かをこしらえて、卵を産み付けてしまう。ハチの子が生まれてしまった巣を親バチに放棄させるのは気の毒だから、できれば卵を産み付ける前、土台を作っているあたりで発見するのが目標だ。
去年は5個か6個ほどの巣を作られたり取ったりした。そのうち、手が届かずに取れなかった3個ほどが、今も軒端にぶらさがっている。取った巣をみると、六角形を組み合わせた、きれいな幾何学模様になっている。
留守だと思ってスプレーしたら、巣の裏側に止まっていたハチが飛び出してきたこともある。巣を取ったあとに、どこからか飛んできたハチがこちらに向かってくるかのように見え、さては私が取ったことがばれて仕返しに来たかと、あわてて家の中に逃げ込んだこともあった。アシナガバチはスズメバチのようには攻撃的でないけれど、やはり少し怖いので、できればあまりやりたくない。どうぞ家の周りには巣を作ってくれるなと、ハチにお願いするばかりである。
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「スイーツ」ぎらい
「スイーツ」は「お菓子」とぴったりイコールではないのだろうか。英和辞典で調べると、sweetsとは「甘いお菓子」のことであるらしいけれど、では甘いお菓子に限って日本でも「スイーツ」と呼ぶことにしたのかと思えば、以前、塩を使った甘くないケーキなんかを「甘くないスイーツ」などと称していたので、直訳すれば「甘くない甘いお菓子」となり、意味不明である。甘くない時点で、そのお菓子はスイーツとはなりえない……
と、ここで我に返り冷静になってみたら、どうしてこんなに「スイーツ」でムキになっているのかしらん。
ちなみに、好きな「スイーツ」はチョコレートです。
(トラックバック練習板:テーマ「好きなスイーツはなんですか」)
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ネコ信仰
2007年04月12日 / 猫
「そりゃあ、もう自分のことは人間だと思ってるんじゃない」と私は答えたのだけれど、待てよ、と思った。猫が自分のことを人間だと思っている、という考えは、人間優位が前提の勝手な想像で、みゆちゃんにしてみれば、なんでわざわざ猫である自分をおとしめて、人間だと思わなければならないのと、鼻で笑いたくなるかもしれない。
猫信奉者にはよくある考えだけれど、私も、猫の方が人間より優れた動物だと思っている。柔らかい体や、滑らかな毛並みはもちろん、暗闇でも見える目や、高いところから跳んでもうまく着地ができる運動能力など、人にはない優れた能力が満載だ。そう言ってしまうと、人にだって猫にはない能力がたくさんあると反論されるだろうけど、そこのところは、盲目的な信奉者ゆえ知らんぷりを決めている。
日溜りでごろごろ午睡を楽しみ、お腹がすけば、うーんと伸びをしながら立ち上がって、ご飯を食べる。そんな猫を信仰する宗教があれば、宗教戦争なんて起きないんじゃないかなどとふと考えたけれど、やっぱり犬派と争ったり、同じ猫宗派のあいだでも、うちの○○ちゃんが一番よなどと、争いの種は尽きないかもしれない。
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京都川端桜通
お酒も飲めず、交友関係も広くないので、桜の下で花見の宴会などはする気もつてもないけれど、やはり桜の花が咲くと、外へ花を見に行きたくなる。京都に住んでいるので、桜の木には不自由しない。少し歩けば、すぐに川端通の桜並木が南北に延々と続いている。桜の季節、川端通は渋滞気味で、急ぐときには苛々するが、とくに用もないときには、車の中から花見ができて、かえってちょうどよいくらいだ。
桜並木は、一日の光の変化のために、時間によって趣を変える。朝はなかなか家を出られないから、朝日を浴びた桜は知らないけれど、晴れた昼には、青い空に、白い花がくっきりと浮かび上っている。日が傾くと、柔らかくなった光が横から差し込んで、花々は陰影が濃くなり、風景は全体に黄金色になる。川面に向かって伸びた花の枝の下でポーズを取る母娘の頬も、カメラを構えるお父さんの髪の毛の縁も、金色に光っている。
夜は明るい。通りのところどころに立つ店の照明や街灯の光を吸って、枝についた鞠のような花の塊がそれぞれ薄明かりを宿し、桜の木全体が、ぼんぼりのように白く浮かぶ花灯路。
だいぶ花も散りだした。風が起きて、道の上に張りついた花びらを、くるくると回転させている。いつまでも花を見ていたいけれど、もしも一年中咲いていたなら、喧しくて仕方ないのだろう。散るならば、さっと散れ。桜はそんな花である。
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夏のシロクマ
シロクマ、シロクマと言っているけれど、正式な名前はホッキョクグマである。この極寒の地に住むシロクマが、かき氷とかアイスキャンディーとかエアコンのマークになって、日本の夏にはよく見られる。
子供だった昔、ある夏の日に、祖母とデパートへ行ったことがあった。白い日差しが照りつけるバス停でバスを待っていると、やがて、陽炎が立ち昇りそうな夏の一本道の向こうに小さくバスが見え、車の流れに見え隠れしながら少しずつ近づいてきた。祖母が目を凝らし、「よかった、シロクマのマークや。シロクマのバスは冷房がかかっているのん」と教えてくれた。今でこそ京都の市バスはすべてエアコン完備だけれど、昔は真夏でも窓を開けて走っていたのがあった。それ以来、私はバスが通るたびに、シロクマのマークがついているか確かめるようになった。
そのあと、祖母とシロクマのバスに乗ってデパートへ行ったはずなのだが、デパートで何を買ってもらったとか、そんな記憶は一切ない。覚えているのは、ただシロクマのバスが近づいてくる場面だけである。
クヌート君から連想して、そんなシロクマを思い出した。
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カタカナライクな世の中
こういうことを言い出すのは、年をとったせいなのかもしれないけれど、このネックレス、デコラティブでいいねとか、マンションのホテルライクな通路とか、今年の夏はビーチに行きたいなって、海水浴場では格好がつかないのかしらん。
デパートの服売り場の店員が「このコートはファーがついているからいいですよ。ファーはマストアイテムです」とか言う。その毛皮って本物?偽物?と聞くと、「フェイクです」と答えた。まあ確かに「ニセモノ」っていうのはあんまりいい感じがしない。もっとも、パーソナリーには、ジェニュインなファーはフォックスやラビットがプアーなフィーリングがするので、フェイクの方がベターであるけれど。
公開中の映画を検索してみたら、日本語の邦題がついているものがわりとあって意外だったのだけど、少し前は原題をそのままカタカナにしたものばかり並んでいた。何年か前に「ロードトゥパーディッション」という映画が上映されていたとき、私の英語力では、タイトルだけ読んでどんな映画なのかさっぱりわからないと思った覚えがある。どんな映画かわからないのに、見たいなんて思うだろうか?そのハテナなところがいいのだろうか?もっとわからないのは、わざわざ原題とは別の、原題風カタカナタイトルをつけたものである。昔の映画は、気の利いた邦題がついていた。ヒッチコックの「鳥」が「バード」だったら、勝手なイメージだけどなんかピヨピヨかわいいのが飛んでる感じがして、あんまり怖い感じがしない。
先日どこかの飲食店に入ったら、メニューに「ウーロンティー」と書いてあった。へそを曲げて「ウーロン茶」と注文してみたら、店員さんは眉ひとつ動かさず、「ウーロンティーがおひとつですね」と言い直したので、こちらが恥ずかしくなってしまった。
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山桜
毎年、めぐる季節を知らせるように花を咲かせてきた山桜がなくなってしまうのは、少し残念であるけれど、力強い根が家屋を傾けてしまうようなことになっては困るので、仕方がない。母は、花と一緒に茶色い若葉が出てくるその色が嫌いだというけれど、私は、山桜が好きだ。
子供の頃は、初夏の暑い日差しをさえぎる葉陰に小さな滑り台を置いて、友達と遊んだ。夏になると、幹にとまるあぶらぜみを捕まえる。気づかれないよう、昆虫網をそうっと構えて近づくと、それまで大きな声で鳴いていた蝉が、気配を感じて、鳴くのをやめてしまった。どきどきしながら、ぱっと網を繰り出して地面に伏せると、中で蝉が、羽を震わせとび跳ねるように暴れている。
ある年は毛虫が大発生して、山桜の葉をあらかた食べてしまった。その毛虫たちが、次のえさを求めて、ぞろぞろと行列を作って幹を下りてきたのが気持ち悪くて、冷や汗がたくさん出た。その年、毛虫に葉を食い尽くされたのを、冬の落葉だと思い違えたのか、山桜は二度花を咲かせた。
植木屋が入って、山桜の木は、大きな切り株になった。大人になってからはあまり木に近づいてよく見ることはなかったのだけど、いつのまにか幹の直径は、私の想い出の記憶より、2倍も3倍も大きくなっていた。
玄関には、花をいっぱいにつけた幾本の枝が、水に挿してあった。この春は、これまでにないほどたくさんの花を咲かせたのだと母が言った。
家の庭ではなく、どこかの山の奥に根付いていたならば、周りの木々を凌駕しながら、見事な大木になっていたかもしれない。そんな仕方のないことを考えながら、いつの日か、切り株の脇からまた新しい若芽を伸ばすであろう山桜の生命力を期待している。
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パンダにハマる
きっかけはというと、一歳の息子が、パンダの形の小さなクリップで遊んでいたことだ。パンダをぴょこぴょこと動かして、「にゃあにゃあ」と言うので、「パンダはにゃあにゃあとは鳴かないよ」というと、今度は「わんわん」と言う。「わんわんとも鳴かないなあ」と言いながら、パンダが本当はなんと鳴くのか、聞いたことがないと思った。そこでネットで調べてみると、同じように、パンダの鳴き声を子供に尋ねられて困っているお母さんからの質問への回答の中に、パンダの声が聞けるサイトを紹介しているものが見つかった。さっそく聞いてみると、ちょっとカタカナでは表記できないような声である。馬と羊の中間くらいというコメントもあったが、無理に書くと「めひぃぃん」という感じだろうか。
別の回答には、パンダのライブ映像が見られるサイトが載せてあった。クリックすると、アメリカのスミソニアン動物園のページである。あ、パンダ!パンダが、岩や木のあいだをうろうろしている。時間は朝の7時頃。動物園は開園前で静かである。自動追跡カメラのようで、パンダの動きにあわせて向きを変えたり、いくつかのカメラに切り替わったり、ズームされたりする。
しばらくして、ふたたび接続してみると、あちらの時刻は8時頃。パンダは両足を投げ出すようにどしりとすわって、笹の葉をむしゃむしゃと食べている。ご飯の時間らしい。
以来、パンダは今なにをしているだろうと、海の向こうのパンダの様子が気になって、ついつい開いて見てしまう。なにしろ、かわいい。いったいどういう進化の都合で、あんなに愛嬌のある模様をしているのか。パンダの生息している場所にはこれといった天敵がいないというようなことを聞いたことがあるけれど、あの緊迫感の感じられないもたもたとした仕草も、それゆえなのだろうか。
お昼頃には、動物園にやってきた子供たちの歓声をいっぱいに浴びてのしりのしりと歩き回り、夜には、岩の上にどてっと横になって、ころころした背中をこちらに見せている。あの黒い目の奥でいったい何を考えているのか、パンダはいつもマイペースである。
異国のパンダの毎日を24時間リアルタイムで見ることができる。まさにネットの恩恵である。
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めろんに騙された男
夕張メロンは、「スパイシー・カンタロープ」と「アールス・フェボリット」という品種を交配させてつくられたものらしいから、味は似ているのかもしれない。また、カンタロープの方が、日本のメロンよりもおいしいと感じている人もいるようである。が、騙しはいけない、騙しは。
関係ない原産地のお土産というものはときどきある。「お土産」の意味をどう考えるかは人によって違うだろうけど、私は旅先の土地にゆかりのあるものを買い求めたいと思っているから、お土産を選ぶ際には、産地を確認する癖がついてしまっている。
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平和ボケみゆちゃん
2007年04月03日 / 猫
これが犬の場合であったら、もともとが群れで生活する動物であるから、家族を群れの構成員だと考えてその規律にしたがっているのだと考えられるし、実際、昔飼っていた犬は、たとえば、母、父、私、犬、弟、というように、家族の中で順位をつけていたようであった。
ところが、猫は群れを作る動物ではない。それゆえ、同じ家に暮らす人間のことをどう思っているのか、私は不思議なのである。母猫だと思っているのだとか、子猫だと思っているのだとかいう意見もあるけれど、日ごろ猫の行いを見ていると、そのどちらともはっきり決められない。
ソファの上のいつもの場所で丸くなって、熟睡していたみゆちゃんの背中を、息子がつついてちょっかいを出した。がばっと頭を上げたみゆちゃんだけれど、なんと、眠すぎて目が開かない。中学や高校の授業中、眠くて眠くてしょうがなく、目を開けようとするのだけれど、眉毛のあたりの筋肉ばかりが持ち上がって、まぶたはちっとも上らない、そんな顔をしているのである。
ここまでリラックスしているというのは、みゆちゃんの保護者として冥利につきるけれど、猫としてはそれでいいのかい、みゆちゃん。
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