小田急線の車内殺傷事件。
こうゆう事があると
人は常に
身構えてないといけない
とさえ思う。
平和ボケ
当たり前の毎日。
それゆえ
人の感覚が鈍感になっていっている
特に今は
イヤホンで耳を塞ぎ
スマホやゲームで
下を向き
周りから遮断した空間を
自らがつくっている。
少し前の昔は…
それこそ漫画を読んでたり
大人は新聞を読んでたり
カタチは変われども
遮断する事はあった。
その中にも
人には
【気配】を感じる
感覚がある
それは
自らの身を守る
生き物としての
人間の感覚のようなもの
あの頃
電車で 漫画を見ていたり
新聞、雑誌を読んでたり
居眠りしていたオヤジでさえ
【気配】を察知していたように
思う。
今はどうなんだろう?
無視を決め込んでるのか?
ホントに
気配を感じなくなってしまったのか?
それも人間の五感以外の第六感的な
ものならば
研ぎ澄まされ、少しは 訓練しないといけないのかもしれないけれど
常日頃、
違和感とか
危険な感覚をどこかに持ち合わせていないと
いざという時には
危険回避できなくなる気がする。
【気配】でも
よくあるのが
人の気配。
もう、お盆の期間に入ったこの頃
よく
そんなエピソードが聞かれる
いるはずのないその
人の気配
とか…
感覚を研ぎ澄まして
ばかりいると
疲れてしまうけど
やわらかい気配を察知して
身を任せ
癒されたい
とかく
ギスギスしてる世の中
だから
楽しい気配
嬉しい気配
やわらかい気配を歓迎したいもの