ルナです。
あっという間に9月に突入!!
スーパーでは芋煮会コーナーに里芋をはじめ、芋煮用の食材が並び、
外食各店でも、9月からのメニューに「芋煮セット」なんていうのが登場するって、
去年は東根に来たばかりで、上手く食べられなかった「山形風芋煮」を
「いっぱい食べる~♪」って、ママさん、張り切っているよ。
さて、東根に引っ越してきたのが9月の最後の週だった去年。
それから、訪れる機会が少なくなってしまった仙台の海岸線。
この前、岡山のライダー・sakaさんを仙台港のフェリー埠頭で見送ってから、
多賀城駅でぷぅままさんとお別れをして、
ルナ達は、塩釜ー岩沼線を走って、名取市閖上(ゆりあげ)地区へ向かってみることにした。
途中の荒浜地区周辺は、道路のかさ上げ工事が進められていた。
緊急地震速報が鳴って、エリアメールが来ると、
ルナの仙台の家周辺は、東部道路の内側に避難!!って、指示が出るんだけど、
その東部道路と同じ高さに作られているような気がする。
東部道路は、津波の防波堤の役割を果たして、
ルナのお家の方は、そのお蔭で大きな被害にならずに済んでいるんだよ。
今回、閖上に寄って行こうって言ったのはパパさん。
ニュースで閖上に慰霊碑が出来たって知っていたみたい。
東日本大震災からこの9月で3年半・・・・
この慰霊碑は日和山近くの市有地に建てられ、
盛り土の上に立つ白御影石の碑は植物の芽生えをデザインしたもの。
地面からの高さは一帯を襲った津波と同じ8.4メートルに設計され、
種をイメージした黒御影石の碑には
「亡き人を悼み故郷を想(おも)う 故郷を愛する御霊よ 安らかに」と刻まれた。
944人の犠牲者名を記した芳名板も設置された。
河北新報ニュースより引用
ひまわりプロジェクトや、ボランティア活動で植えられた花壇・・・
生き残った桜を復興へつなげる貞山掘を桜並木にしようプロジェクトなど、
緑の再生プロジェクトは掲げられているけれど、
やっぱり、この景色は、いまだ悲しみの中。
名取市街に移されていたさいかい市場も、元の朝市があった場所に移っていたけれど、
お客様は、ここへ帰ってきているのだろうか・・・・
ルナが歩いて回っていたら、
その一角で、草取りをしているおじさんを見た。
すっかり雑草でおおわれている場所で、おじさんが立っているところだけが綺麗に草取りがされていた。
きっと、離れがたい、失いたくない自分の家があった場所なんだろうなぁ~
何度か視線を合わせたけれど・・・ママさん、声をかけられなかった。。。
慰霊碑が建ったことで、以前よりも多くの方が再び閖上を訪れていた。
いろいろなものが動き出しているのは、確かに感じられる。
ただ、ルナはこっそり侵入したけれど、もう、岸壁までは入れなくなっていたよ。
そして・・・・
「あれ あれって、蔵王丸じゃない!! 」
釣り船は、プレジャーボートのように綺麗な姿で並んでいたけれど、
パパさんが目をやったのは、紫色になった、ピカピカの蔵王丸。
パパさんが、大好きだった抜けるような青空色だった思い出の蔵王丸・・・・
震災後、どうなったんだろうって心配し続けた3か月後、この姿を見て、悲しかったよね。。。
青から紫色へ・・・トーンを深めた蔵王丸は、復活を遂げていた。
釣りが趣味で何度も乗った蔵王丸と別れてから、山へ気持ちを向けて過ごしてきたけれど、
果たして、この海へもう一度出かけてゆけるかどうかは、
パパさんにはもう少し時間がかかりそうだとルナは思った。
ん。。。
やはり、こういった光景を目にすると、
未だに、どう言葉をかけていいのか分からない自分がいます。
閖上地区、元の姿を存じませんが、
僅かに残った区画のブロックを見ると、
きっと家々が連なっていたのでしょうね。
ゆっくりと時が動いている感じ。
そして、以前のよう賑わいが戻るか。
そんな思いいが交差しますね。
そんな中での蔵王丸の水上への復帰。
地元の方の未来へ向かう意志を感じますね。
でも、現状はまだまだ。
改めて、感じさせられる光景です。
こちら、今日は秋晴れで久し振りの気持ちよさです。
山形の芋煮もぜひ食べてみたいな~ぁ。
そして、閖上の今を見て。。。
どんなコメントを残したらいいのか戸惑ってしまいました。
でも、こうして今の現状を知る、見ることはとっても大切な事ですよね。
海は穏やかになってても、皆さんの気持ちを考えると複雑です。
今回もここへ足を運ぶ事さえもママさんたちには辛かったでしょうね~~。
本当にあの震災が夢だったらね~~
私たちが元気で生きてこの震災の復活、復興を見守って生きていきましょうね。
一帯を襲った津波と同じ8.4メートル
そして、944人の犠牲者
草取りをしているおじさん
蔵王丸
いろんな思いが、ぐるぐるとまわるんだけど、やっぱり皆さん同じですね。
言葉が出てこないんです。
東北の方たちの笑顔をみると、
ほっとするし、逆に励まされる思いがいつもするんです。
復興が進んで、ほんとの笑顔が戻ってくる事を、願ってます。
寄られてみたんですね。
やはり、3年の月日がながれても
まだまだ、こんな状態なんですね。
お船は、色が変わったんですね。
みつけられてよかったです。
そうだ、昨日は、防災の日でしたね!
やっぱりいまだに、ガソリンを半分以下に
できないですね。。。
月日は経って、この景色も一見穏やかそうに見えてくるほど、
あの日のことも、説明がつかないまま時間だけが過ぎて行っているようにもおもえます。
閖上地区は、未だ、住民の気持ちと行政の間にも手を取り合えない感情もあって、
それは、双方とも言い分があって、そこを乗り越えられるかが今後の町の再建を左右するところでしょう。
被災地の方々、いずれも同じと思いますが、
戻りたい人・・・戻りたくない人・・・
みんなが戻らなくては、町は元には戻りませんからね。
それ以前には、決して戻れないものがあると思います。
そんな中で、蔵王丸はいつの間にか復活していましたね。
ここから、釣りをしに出かける気持ちになれるのか・・・それは、また、別の気持ちだと思っています。
閖上は私たち家族には、楽しみの場所でした。
釣りをしたり、海辺で遊んだり、美味しいお寿司屋さんがあったり・・・・・
穏やかでほっとする場所だったんです。
慰霊碑が建立されて、また、ここを訪れる方が増えたことと、
手を合わせる場所ができたことを、良かったと思ってきました。
私の知人も、きっと名前を刻まれていたでしょうけれど、ぞの事実を見ることも怖くて、
そこは黙って探せませんでした。。。
そのご夫婦の笑顔しか思い出せません。
この悲しみは、やっぱり、この場所を一人でも多くの方に見ていただいて、
これからの生活の意識の中で理解してくれることを望んでいます。
ここに居られた方々自身が、「まさか」と思うような出来事だったからです。
今日は、昨日の天気予報と一転して、
程よい気温の秋晴れとなりました。
河原で芋煮会行事が週末ごとに始まって、10月半ばまで、賑わうことでしょうね~♪
この前の24時間テレビ・・・・
ところどころでしたが見ていました。
被災地の今の様子もいくつか見ましたが、私も驚くほど、いまだに大変な生活のままの場所がありましたね。
私は、いま、東根で本当にゆったりと過ごさせてもらっています。
ここは、津波の心配が何もない場所だからです。
先日、仙台市から、抽出で夫に震災後の生活の調査・アンケートが来ました。
避難所のこと、家族で逃げる場所についてや、お風呂に水を張っているかとか・・・・細かなことも聞いていました。
震災バイブルのようなものがやがて作られてゆくのでしょうけれど、
やっぱり個人の意識なのです。
8.4mの高さ・・・機会があれば考えてみてください。
凄い高さでした。
慰霊碑の高さ・・・そんな意味を込めていたなんてね。
先日は、ありがとう。
忙しい思いをさせてすみませんでした。
頂いたパン、美味しかったです・・・ってこんなところにお礼を書いて
閖上は、時々行ってみたくなるんです。
パパさんにとっては、病気が芳しくなかった頃、
毎日ここへ行って釣りをしながらベッドが空くのをひたすら待った場所なんです。
2か月も待ったこともありました。
その頃の楽しみが、ライトブルーの蔵王丸に乗ってカレイを釣りに行くことでした。
Mちゃんのご主人さまや、会社の同僚たちと早朝から出かけてゆくのでした。
帰ってくると私が大変!! 最高70匹ほどのカレイを処理したものです。
そんな思いでいっぱい、魚に餌を付けて岸壁で酔ってしまう私でしたが、何度も一緒に出掛けました。
懐かしい話をしましたね。
防災の日にちなんで、この記事を昨日投稿しました。
ガソリン・・・早めに給油しないとね