こころの染織

ひと針ひと針心を繕います。
第8章・・月あかりの散歩道・・・私とルナと一緒に月に想いを馳せて散歩しませんか~♪

東日本大震災・・・あれから2年が経って。。。

2013-03-11 14:15:20 | 東日本大震災

アメリカン・ブルーです。


昨日、夫とルナと一緒に、強風の中、福島まで出かけました。
その時に車の中から、あまりにも美しい吾妻小富士を見て撮ったものです。
撮影場所は、高速道路・福島西インターを降り、猪苗代湖方面へ向かう途中です。


吾妻連峰の中央にあって、富士山の山頂のように見えることから、「吾妻小富士」と呼ばれるそうですが、
本当の名前は「摺鉢山」と言うのだそうです。


そして、画像をトリミングして見ると、
雪うさぎが見えました。





向って右肩の方です。

山肌に残る雪がうさぎのような形に見えることから、「雪うさぎ(吾妻の雪うさぎ)」と呼ばれるのだそうです。
そして、昔から雪うさぎが見えるようになると、農家の人々が苗代に種をまき始めたところから、
「種まきうさぎ」とも呼ばれるそうです。

福島市民の早春の風物詩となっているそうですが、
2年前に、この土地で3週間ほどを暮らした時には、
この美しい吾妻小富士を見ることも、
その山肌に浮かぶ可愛い「雪うさぎ」の存在すら知る余裕はありませんでした。


あれから、間違いなく2年の月日が流れたのでしょうか・・・・


東日本大震災が発生した2011年3月11日のことは、
昨年、1年前、あの日あの時・・・と題して、記録していました。
今日は、そのあとのことを、追記したいと思います。


震災の日から、三日後・・・私は、ルナと一緒に福島に居たのでした。


今も、夫が良く言うことがあります。
「あの日、あの時間、一緒に居たことが何よりだった。
もし、自分が、福島に居たら、どれほどの想いで苦しんだろう。」


夫は、震災発生のわずか1週間前に単身赴任で福島市内へ転居したばかり。
我が家は、たった3人家族が、仙台・福島・船橋と3か所に住む生活が始まったばかりでした。
前日、会議で仙台へ来て、そのまま休みを取って、その日は家に居たことが、
不幸中の幸いだったと言うことか・・・・
おそらく、職場も壊滅的になっていたことから、
その日、おそらく、連絡のすべが無かった私とルナの心配で、はち切れそうな気持ちをこらえて、
そこへ留まらざるを得なかっただろうことを想像するからです。





震災の翌日、早朝5時には、福島へ行く・・・と言って、
私は、「唖然」としながらも、「気をつけて・・・」と見送りました。
夫は、そこから、3日間、福島と仙台を往復して、夜は、車の中で寝泊まりしました。
しかし、三日目、ガソリンが無くなりました。
災害復旧車のステッカーを貼った会社の車。
優先的にガソリンを給油できる車です。
唯一、生きていたライフラインの「水」を我が家から大量に車に積んで、
その交換条件で借りて来たという車で、
「もう、通えないから、福島気来てくれ・・・・」
そう言われて、数日のことかな・・・と、何も考えられないまま、
最低限のものを持ち、すでに夜中になってから、福島へ向かったのでした。


福島に借りていた夫のアパートは、間取りは狭いながらも、綺麗で、
水周りがゆったりとしていたので、
ペット不可を隠している以外には、落ち着けるシェルターのようで、
電気が早くも復旧していて、明るい部屋、そこでようやく布団に足を延ばして眠れました。





ホッとしたのもつかの間・・・・
翌日、テレビが見られるようになったことで、
福島原発の放射能漏れをニュースで見ることとなりました。
原発から60キロ離れているとはいえ、当時は何も知識もなく、
このまま、ここへ居て良いものか・・・・
それすらも判断できないまま、
窓を閉め、換気扇・エアコンを閉じ、家から一歩も出ない生活が始まりました。
付近の方々も、ほとんど外出する姿を見ませんでした。



津波の恐怖からようやく逃れて来たことと、
赴任先の夫の部屋には、倒れるものが何もない安堵感・・・・
それに安心できたのは、一晩だけだったような気がします。
その後は、原発の放射線量が毎日テロップで流れる様子に、目を凝らす日々。
実は、福島市内の方が、原発近隣の地域よりも数値が遥かに高かったのです。


この時期の、まさに花粉と一緒です。
大きな都市の風が吹きだまる場所・・・そこが、異常値を出していました。







直接的な被害は無かったけれど、
地震のみならず、津波・原発への強い恐怖を感じた私達の東日本大震災から2年の歳月。


いまは・・・・


3週間を過ごした「福島への愛着」を抱きながら、
あれから、春夏秋冬の福島を楽しめるようにまでなりました。
景色は美しく、お菓子やくだものはことのほか美味しいんです。
そして、
今年は、吾妻小富士のトレッキングに行けたら嬉しいなぁ~と思っています。


いまだ、風評被害に苦しむ福島のようですが、
そこに、あれから・・・そして、今も、これからも・・・
生活をしている方々がおられるのです。





それから、私が毎日やっていることがあります。
誰でもできる特別なことではありませんが、
夫が出かける時に、必ず、玄関で見送ることです。
ルナと一緒に「いってらっしゃ~い」と、たった一言です。

息子には、毎週、必ず連絡をもらって、
何気ない会話をして過ごします。


予想だにしなかった大震災・・・・
また、大洪水や大雪、列車の脱線事故、通り魔事件・・・
宇宙から隕石も落下する。


たったいま、元気であっても、その先に何があるか解らない今日この頃。
家族に、出来れば笑顔のままの自分でいたい・・・・
また、あの時、ちゃんと声をかければ良かったと後悔したくない・・・・
そう思うようになっている自分。
突然亡くした家族への想いを、この2年間、
辛く、悲しいほど多く、納まることなく、
その報道で見続けて来たから。








今朝の仙台は、うっすらと一面の雪化粧になりました。
最高気温も4℃と、冬の寒さです。


間もなく、あの時間がやってきます。
今日も、ルナと一緒に、鎮魂の祈りを捧げたいと思います。
そして、私達は、「いま」この時を大切に生きましょう。



  






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20 コメント

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辛い思い出ですが・・ (よっこたん)
2013-03-11 15:45:57
こんにちは今日で二年ですが今まででも大変でした・・これからもまだまだ不安な中生活をしていかなくてはなりませんね~!
あの時間には黙祷して人ごとではなく何時自分達がそうなるのかわからない今日ですが・・
前を向くだけしかできませんが・・頑張ってくださいね~
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Unknown (みちみち)
2013-03-11 17:20:45
ママさんこんにちは。
あれから2年。。。。。。
今日は夫と東北へ向ってお祈りを捧げました。
本当にあの日、パパさんが一緒にいてくれた事は私も一番の安心でした。
あの揺れで私達は車中へと避難したのですが、その車の中から地震津波情報を聞いた時は本当に驚きを隠せませんでした、こんなに大変なことになってしうなんて悲しすぎます、そして今でも胸が痛みます。
ママさんが少しづつ元気を取り戻しても、やはりこの日を迎えると複雑な気持ちかと思われます。
寂しいけど、”誰もが明日のことはわからない” 本当ですよね、自分を大切にこれからの人生を共に歩んでいきましょう。。。。。パパさんママさんルナちゃんこれからも元気でね。

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Unknown (やっぴえろ)
2013-03-11 17:48:41
こんにちは、アメリカン・ブルーさん!


今日も、テレビで色々な特番が流れていました。

ブルーさんの震災当時の話は、
ホントに胸にズシリと重みを感じます。

忘れてはいけないこと、
忘れないて行かないといけないこと、
色々ある様な気がして、
かける言葉にいつも迷ってしまいます。

ごめんんさい、
僕もまだまだですね。

でもただ、いつも見守っています^^

毎日の『いってらっしゃい』
特別なことではなく、
それが一番ありがたいですよね。

雪うさぎキレイですね^^
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こんばんは (エリチン)
2013-03-11 20:43:02
アメリカン・ブルーさんこんばんは
あれから2年経ちましたね。辛いことを話してくれてありがとう。あの時のアメリカン・ブルーさんの気持ちを思うとあらためて大変だったんだなあと思いました。忘れてはいけない出来事です。あの時、ほんとにパパさんがいて良かったですよね。今も苦しんでる被災者もたくさんいます。2年経った今だから話せることですが、ご存じの通り兄は自衛官で震災が起きてから被災地に行きました。兄が言っていました。いろいろ災害の現場に行ったけど、今回は酷過ぎると言葉にならなかったそうです。今でも焼き付いてしまってるようです。兄も病名はあえていいませんが、体調を崩してたようです。おそらく、救助にあたった皆さんそうだったと思います。今は元気になりましたが、被災地のことは常に心配していますよ。1日も早く皆さんの笑顔が戻ることを祈っています。長々とすいません。

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こんばんは (マリンママ)
2013-03-11 20:47:43
2年経ちました・・
あの時の衝撃は忘れられません。
ブルーさんの無事を知った時は全身の力が抜けて・・只々涙が流れたのを記憶しています。
明日、リンクさせてくださいネ
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こんばんは(*^^)v (JAMまま)
2013-03-11 21:09:01
2年なんですね・・・
何も言葉がでず、ご無事な事にホットしたのを
覚えています。
より早い復興をお祈り申し上げます。

[雪うさぎ]初めて知りました。
とても素敵です。
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Unknown (ベビママ)
2013-03-11 21:45:06
震災後はもう、~たったの?まだ~~にちなんだーとか時間の感覚でしたが今はもう2年たってしまたんだーと感じます。まだまだ復興の進んでないところも多いようですね
ほんとに今の時代何があるかわからない。明日はどうなるかわからない。と感じます。だから一日一日を大事に
とは思うのですが、行動に起こすのは難しいですね。
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通院日 (風 蘭)
2013-03-11 21:54:19
長崎からも黙祷しましたよ。
妻の玲子は涙していました。

丁度私達は今日が通院日だったので、
自分達の事よりも災害にあわれた方々に思いを馳せられる
まともな大人で良かったと思います。。。
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よっこたんさんへ (アメリカンブルー)
2013-03-11 22:36:44
よっこたんさん こんばんは~

震災から2年を迎えて、今日は、少し、気持ちも落ち着いたような気がします。
ここからは、もう、すべてにおいて、
前を向いて行く時かなぁ~と思うこの頃です。
いつも、折々の優しい応援に感謝しています。

今日は、私も、その時を想い、黙とうを捧げました。
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みちみちさんへ (アメリカンブルー)
2013-03-11 22:42:12
みちみちさん こんばんは~

今も、あの瞬間が、また襲って来そうなそんな気持ちになることは時々あります。
でも、この2年で、身につけたことも多かったような気がします。
何より、この逆境を支えて、励ましてくれた皆さんへ感謝です。
家族の大切さもあらためて感じました。

これからは、震災に与えられたマイナス面だけでは無くて、
そこから得たものを、大切に過ごしたいと思っています。
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