本の整理をしていて学生時代に読んだ短歌集を見つけ、改めて読み返してみました。死刑囚であった島秋人という人の短歌を集めた「遺愛集」というタイトルの歌集です。 ※「遺愛集」東京美術選書9 東京美術社より発行
○この澄めるこころ在るとは識らず来て
処刑まつひととき温(ぬく)きいのち愛(いと)しむ
この句は、死刑が執行される前日に書かれた辞世の短歌です。
この短歌に続いて彼は、次のことを書き遺しています。
「処刑前夜である。人間として極めて愚かな一生が明日の朝にはお詫びとして終わるので、もの哀しいはずなのに、夜気が温かい感じ得る心となっていて、うれしいと思う。…」
遺愛集は、本人が処刑された後に発刊された歌集です。歌人の窪田空穂の序文によると、島本人が、遺族の思いをくみ取り、歌集の発刊は自分の死後という約束があったようです。
死刑囚である島秋人(本名ではありません)が、なぜ短歌を書くようになったかというと、そのきっかけは教育者との関わりにあったようです。
獄中から彼(島秋人)は、これまでで唯一の良い思い出であった、中学時代の恩師であり図工の時間に絵の構図がすばらしいとほめてくれた先生に、手紙を出します。その先生の返書には、彼が見たいと依頼した子どもの描いた絵とその先生の奥様が書いた短歌が3首添えられていました。この短歌が島秋人の心を打ち、短歌をつくり続けるきっかけとなりました。
島秋人が信頼し遺愛集の原稿を託した、前坂さん(獄中に高校生の時から花の差し入れをし、島を励まし続け、やがて高校の教師になります)の書いた後書きに、彼からもらった手紙を紹介した箇所があります。前坂さんが先生になることを知り、島秋人が送った手紙の一節です。
「 教師は、すべての生徒を愛さなくてはなりません。一人だけを温かくしても、一人だけを冷たくしてもいけないのです。目立たない少年少女の中にも平等に愛される権利があるのです。むしろ目立った成績の優れた生徒よりも、目立たなくて覚えていなかったという生徒の中に、いつまでも教えられたことの優しさを忘れないでいる者が多いと思います。忘れられていた人間の心の中には、一つのほめられたということが一生涯繰り返されて憶い出されて、なつかしいもの、たのしいものとしてあり、続いていて残っているのです。」
彼自身の体験をもとに、前坂さんにはこんな先生になってほしいという願いが込
められています。
○ほめられしひとつのことのうれしかり いのちの愛しむ夜のおもひに
島秋人の人生の中で、その先生の出会いとその一つのほめられたことがどんな
に大きいものであったかが、短歌から読み取れます。
小さい頃に母を亡くし、病弱で学校の成績も悪く、犯罪者への道をたどって
しまった彼にとって、一つのほめられたということが一生涯の思い出として残
っていたのですから。
すでに教職は離れましたが、教師として子どもたちと関わっていく上で、最
も大切にしなければならないこと(すべての子どもを平等に愛し、一人ひとりの
思いを真摯に受け止め、その子のよさや個性を認めていくこと)を改めて教えら
れたような気がします。
その後、島秋人は歌人として、やわらかな感性をもとに、刑死するまでの間
にたくさんの短歌をつくり続けます。
自分の犯した罪や遺族の方への思い、命あるものに対する愛しい思い、亡き
母や老父への思い…一つ一つの思いが短歌となり、島秋人という人の内面を豊
かにそして澄んだものに清めていきます。
※島秋人のプロフィール
昭和9年6月28日生まれ。幼少を満州で育ち、戦後父母と共に新潟県枕崎市に引き揚げたが、母は疲労から結核になりまもなく亡くなった。本人も小さい時から病弱で、学業成績も悪く、周りからうとんじられるとともに性格がすさみ、転落の生活をおくるようになり、少年院にも入れられたことがあった。