あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

金子みすゞさんの詩 その3

2020-04-12 15:35:25 | 日記
     私と小鳥と鈴と

   私が両手をひろげても、
   お空はちっとも飛べないが、
   飛べる小鳥は私のように、
   地面(じべた)を速くは走れない。

   私がからだをゆすっても、
   きれいな声は出ないけれど、
   あの鳴る鈴は私のように、
   たくさんな唄は知らないよ。

   鈴と、小鳥と、それから私。
   みんなちがって、みんないい。

 この詩は、金子みすずさんの代表作として、多くの人が目にし読んだことのある詩なの
ではないでしょうか。
 末尾の「みんなちがって、みんないい」の言葉の内に、矢崎さんの語る『みすずコスモス』
のあたたかなまなざしを感じます。
 一連では 小鳥と私とのちがい、二連では 鈴と私とのちがいを、それぞれの持っている
長所に目を向けて表現し、三連での「みんなちがって、みんないい」という言葉に集約して
まとめています。
 三連を導き出すための例として、なぜ小鳥と鈴を取り上げたのでしょうか。私は、そこに
『みすずコスモス』のまなざしにふれる手がかりがあるように感じました。
 小鳥は命あるもの、鈴は命を持たない物です。でも、そういった区別には意味はなく、みすゞ
さんには「空を飛ぶ小鳥」や「きれいな音色を出せる鈴」に、自分にはないものを持ったかけが
えのない存在なのだというと受け止めがあったのではないでしょうか。そういった形で、周りの
すべてを受け入れ、それぞれの存在の意味や尊さを包み込むようなまなざしが、みすずコスモス
なのではないかと感じました。
 長所に目を向けることで、あらためてその存在の意味や尊さを見出すことができる。
だからこそ 小鳥は小鳥のままで、鈴は鈴のままで、自分は自分のままで、すべてのものがかけ
がえのない存在として、そこに在り続けているのでは…。そういう世界観がまなざしの内に感じ
られるような気がしています。

 矢崎さんは、この詩のタイトルは「私とあなた(小鳥や鈴)」ですが、そこから始まって、それ
ぞれの素晴らしさに気付いて、最後にまなざしがひっくり返ると語っています。
 三連で、タイトルの言葉の順序が変わり、「鈴と、小鳥と、それから私」、「私とあなた」が
転じて「あなたと私」の順となっていることにふれ、私のことよりもあなたのことを大切に考えるとこ
ろに、みすずさんのまなざしがあると指摘しています。だからこそ「みんなちがって、みんないい」を
自然な形で受け止めることができるのだと。
 さらに矢崎さんは、
 この詩にはできないことと知らないことしか書かれていなくて、それでも「みんなちがって、みんな
いい」とうたうのです。今の社会は「できること」「知っていること」が求められますが、できないこ
とがあってもいい、知らないことがあってもいいのです。なぜなら、あなたには「あなたにしかできな
いこと」があるからです。
と、語っています。

 矢崎さんの指摘のように、私のことを後回しに表現する中に、みすゞさんのまなざしを感じ取ることが
できます。また、自分にできないことや知らないことを否定的にとらえるのではなく、自分にしかできな
いことに目を向けていくことの大切さについても、強い共感を覚えます。
 表現された言葉の順序性や社会的な視点からの指摘に、みすゞさんの世界を誰よりも広く理解し、その
まなざしを深く受け止めている 矢崎さんの熱いまなざしを感じます。 

 みすゞさんの詩を通してみすゞさんのまなざしを感じるのと同じように、詩の向こうには詩人の数だけ
たくさんのまなざしがあり、またそれ以上にたくさんの読者のまなざしがあるのだと思います。そのまな
ざしを通して見えてくる世界に、限りはないのだと思います。できることなら、そのまなざしにふれるこ
とで、少しでも自分の心のコスモス(宇宙)を広げていくことができたらいいなあと感じています。
 
 
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