あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

金子みすゞさんの詩 その2

2020-04-10 18:07:12 | 日記
      大漁
          金子 みすゞ

  朝焼小焼(あさやけこやけ)だ
  大漁だ
  大羽鰮(おおばいわし)の
  大漁だ。

  浜はまつりの
  ようだけど
  海のなかでは
  何万の
  鰮(いわし)のとむらい
  するだろう。

 金子みすゞ記念館館長の矢崎節夫さん(童謡詩人)は、「この一編で『みすゞコスモス』が
分かります」と語ります。
 矢崎さんは、この詩を通して受けた衝撃(感動)を二点指摘しています。
 一つは、鰮は自分に食べられて当たり前と思っていたが、それが完全に「鰯と私」のまなざし
にひっくり返され、鰮の命は、自分が生きるための命に変わってくれたと、心から感謝できたの
だということ。
 二つ目は、生と死、光と影、喜びと悲しみ、目に見えるものと目に見えないものというように、
この世の中は全て『二つで一つ』ということ。
 これらの点を踏まえ、これまでの「自分中心」「人間中心」のまなざしを変えていく上でも、
みすゞさんの詩を通して、みすゞさんのさしだすまなざしに込められたあたたかさや心の宇宙に
ふれることの大切さを語りかけているように感じました。
 この詩を読んで私が感じたことは、鰮を捕り、大漁を祝う人間の暮らしの営みがあると同様に
鰮にも海の中の鰯の暮らしがあり、生きていく世界があるのだということでした。この地球上で
命あるものとして共に生きているのだということ、だからこそその命をいただいて生きていく人
間としての悼む心と感謝を忘れてはいけないのだということを改めて感じることができました。
 宮沢賢治の童話「なめとこやまの熊」の中では、最後の場面の 亡くなった猟師の死を悼む熊
の姿が印象的でした。命を捕るものと捕られるものとの関係でありながら、その関係を超えてお
互いの命に対する敬虔な思いが共有されていたからなのかもしれないと強く感じました。
 この世の中では全て『二つで一つ』ということ。この矢崎さんの受け止め方は、先に紹介しまし
た谷川俊太郎さんの詩「一心」にも通じるもののように感じました。
 しかし、みすずさんのまなざしは、それには収まり切れないものまで、見つめているようにも感
じられます。「つもった雪」というみすゞさんの詩を読んだときに感じた思いです。

     つもった雪

  上の雪
  さむかろな。
  つめたい月がさしていて。
  
  下の雪
  重かろな。
  何百人ものせていて。

  中の雪
  さみしかろな。
  空も地面も見えないで。

 上の雪の寒さと下の雪の重さまで感じ取りながら、さらに中の雪のさみしさまで感じ取ることの
できるまなざし。みすゞコスモスには、すべてのものを包み込むような広さと深さがあるようにも
感じます。

 次回は、矢崎さんが取り上げた三つ目の詩「私と小鳥と鈴と」を紹介したいと思います。


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