波打ち際にうつぶせになった幼い男の子の遺体の写真を見ました。
トルコ海岸に打ち上げられた シリアからの難民の遺体の中の一人だったとのこと。
あどけない横顔に、何とかわいそうに! という思いと 戦火を逃れようとして命を失うことになった運命に、
言葉にならない悲しみと憤りを感じました。
昨日の朝日新聞の一面には、ドイツを目指している難民がハンガリーのブダペスト駅で足止めとなり、数千人が
寝泊まりしている様子が、写真と共に掲載されていました。
インターネットのニュースでは、ドイツに向かう道路の一画で、乗り捨てられた保冷車があり、その中に71名
もの難民の遺体が見つかった という痛ましい記事もありました。
今日の新聞によると、オーストリアとドイツが緊急措置として難民の受け入れを表明し、ハンガリー政府が難民
のバス輸送にあたっているとのことでした。
中東の祖国では戦火が絶えず、平和な暮らしを夢見て旅立つ難民が、数多くヨーロッパに逃れている深刻な現実
があるようです。難民受け入れに寛容で、経済的にも豊かなドイツが、多くの難民の目指す目的地になっている
ようです。受け入れるヨーロッパの国々でも、社会問題化しており、移民や難民の排斥運動も起きているとのこと。
経済的に苦しい状況にある国にとっては、自国民の失業対策も課題となっており、受け入れには慎重にならざる
を得ない事情もあるようです。
それにしてもすべての発端は、戦争です。祖国を捨てなければならないほど戦況は窮迫し、子どもたちの幸福な
未来を願う親にとっては、平和な国での平和な生活を願うのは自然な親心でもあるのでしょう。亡くなった幼子
の両親もそう願って、祖国を後にしたのでしょう。
そういう難民の人々の受け入れ国として、日本の状況はどうなっているのでしょうか。
日本での申請者は、年々増加し、昨年は5千人の申請があったそうですが、認定者はわずか11人で、人道的配慮で
の在留許可も、110人にとどまっているそうです。
日本では難民認定の基準がそれだけ厳しく、抑制策ばかりが目立ち、国連難民高等弁務官事務所や日本弁護士連合
会からは、懸念の声があがり、その指摘に対して、法務省も重い腰をあげ、難民認定制度の見直しをしているそう
です。
今救いの手を必要としている難民救済と人道的支援に取り組む必要性を痛感します。
少子化と高齢化が進む日本の状況を考えるなら、やがて国内は労働力不足となり、これまで以上に外国人の労働力
を必要する国になっていくのではないでしょうか。
そういった側面からも、難民や移民の受け入れを拡大し、日本社会に適応できるような教育や支援システムを構築
しながら、日本での生活がスムーズにできる体制づくりが急務なのではないかと思います。
難民の人々が、戦火の中ではなく平和な世界の中で生きることの幸福を味わうことができるような さまざまな支援
やシステムをつくりあげていくことこそ、平和国家としての日本がとるべき課題なのではないでしょうか。
受け入れを拡大することでさまざまな問題も派生してくるとは思いますが、今 救いの手を必要としている人々に手
を差し伸べ、日本としてできることに最善の努力を注いでほしいと思います。
そういった人道支援を率先して行動化していきながら、戦争のない世界を目指して平和外交を展開していくことが、
世界から信頼される 日本の歩みとなっていくのだと思います。
安保法案は、軍事的なバランスを想定した現実論であり、そこから理想は見えてこないような気がします。
仮想敵国を想定し、同盟国との軍事的協力関係をつくりあげることで、世界の平和は成り立つのでしょうか。
対立の論理にくみせず、世界のどの国々とも信頼関係を築き、戦争のない平和な世界の実現という 日本国憲法の理
念に沿った 理想を掲げ行動する 日本であってほしいものです。
難民救済に早急に取り組むことも、その大切な一歩であると感じます。
現実論の前で、理想論は机上のプランと見なされてしまいます。
しかし、理想こそ現実をよりよい方向に変えていく力の源なのではないでしょうか。
こうありたいという願いや思いが、現実を理想の高みに引き上げ変えていくのだと思います。
トルコ海岸に打ち上げられた シリアからの難民の遺体の中の一人だったとのこと。
あどけない横顔に、何とかわいそうに! という思いと 戦火を逃れようとして命を失うことになった運命に、
言葉にならない悲しみと憤りを感じました。
昨日の朝日新聞の一面には、ドイツを目指している難民がハンガリーのブダペスト駅で足止めとなり、数千人が
寝泊まりしている様子が、写真と共に掲載されていました。
インターネットのニュースでは、ドイツに向かう道路の一画で、乗り捨てられた保冷車があり、その中に71名
もの難民の遺体が見つかった という痛ましい記事もありました。
今日の新聞によると、オーストリアとドイツが緊急措置として難民の受け入れを表明し、ハンガリー政府が難民
のバス輸送にあたっているとのことでした。
中東の祖国では戦火が絶えず、平和な暮らしを夢見て旅立つ難民が、数多くヨーロッパに逃れている深刻な現実
があるようです。難民受け入れに寛容で、経済的にも豊かなドイツが、多くの難民の目指す目的地になっている
ようです。受け入れるヨーロッパの国々でも、社会問題化しており、移民や難民の排斥運動も起きているとのこと。
経済的に苦しい状況にある国にとっては、自国民の失業対策も課題となっており、受け入れには慎重にならざる
を得ない事情もあるようです。
それにしてもすべての発端は、戦争です。祖国を捨てなければならないほど戦況は窮迫し、子どもたちの幸福な
未来を願う親にとっては、平和な国での平和な生活を願うのは自然な親心でもあるのでしょう。亡くなった幼子
の両親もそう願って、祖国を後にしたのでしょう。
そういう難民の人々の受け入れ国として、日本の状況はどうなっているのでしょうか。
日本での申請者は、年々増加し、昨年は5千人の申請があったそうですが、認定者はわずか11人で、人道的配慮で
の在留許可も、110人にとどまっているそうです。
日本では難民認定の基準がそれだけ厳しく、抑制策ばかりが目立ち、国連難民高等弁務官事務所や日本弁護士連合
会からは、懸念の声があがり、その指摘に対して、法務省も重い腰をあげ、難民認定制度の見直しをしているそう
です。
今救いの手を必要としている難民救済と人道的支援に取り組む必要性を痛感します。
少子化と高齢化が進む日本の状況を考えるなら、やがて国内は労働力不足となり、これまで以上に外国人の労働力
を必要する国になっていくのではないでしょうか。
そういった側面からも、難民や移民の受け入れを拡大し、日本社会に適応できるような教育や支援システムを構築
しながら、日本での生活がスムーズにできる体制づくりが急務なのではないかと思います。
難民の人々が、戦火の中ではなく平和な世界の中で生きることの幸福を味わうことができるような さまざまな支援
やシステムをつくりあげていくことこそ、平和国家としての日本がとるべき課題なのではないでしょうか。
受け入れを拡大することでさまざまな問題も派生してくるとは思いますが、今 救いの手を必要としている人々に手
を差し伸べ、日本としてできることに最善の努力を注いでほしいと思います。
そういった人道支援を率先して行動化していきながら、戦争のない世界を目指して平和外交を展開していくことが、
世界から信頼される 日本の歩みとなっていくのだと思います。
安保法案は、軍事的なバランスを想定した現実論であり、そこから理想は見えてこないような気がします。
仮想敵国を想定し、同盟国との軍事的協力関係をつくりあげることで、世界の平和は成り立つのでしょうか。
対立の論理にくみせず、世界のどの国々とも信頼関係を築き、戦争のない平和な世界の実現という 日本国憲法の理
念に沿った 理想を掲げ行動する 日本であってほしいものです。
難民救済に早急に取り組むことも、その大切な一歩であると感じます。
現実論の前で、理想論は机上のプランと見なされてしまいます。
しかし、理想こそ現実をよりよい方向に変えていく力の源なのではないでしょうか。
こうありたいという願いや思いが、現実を理想の高みに引き上げ変えていくのだと思います。
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