新聞を読んでいて,『断捨離』という言葉を初めて知りました。
その意味や考え方を詳しく知りたいと思いインターネットで調べてみました。
提唱者のやましたひでこさんのホームぺージを開いてみると
断捨離とは,モノへの執着を捨てて,身の周りをキレイにするだけでなく,心もストレスから
解放されてスッキリする ということを目的とする。
必要のないもの,使わないものを手放すことで本当に必要なもの,本当に価値あるものが
浮かび上がってくる。
自分とモノとの関係を問い直し,暮らし・自分・人生を調えていくプロセス。不要・不快なもの
との関係を 文字通り 断ち・捨て・離れ 引き算の解決方法によって停滞を取り除き,住ま
いの 暮らしの 身体の 気持ちの 人生の 新陳代謝を促す。
身体の不調,煩わしい人間関係,忙しすぎる状況をも 解決していく。
という 説明が書いてありました。
この説明を読みながら,『断捨離』という言葉にとても魅力を感じました。語感の響きもいいですし,3つの漢字それぞれの意味を考えていくと,自分にとって生きていく上で大切なことが明快に見えてくるのではないかと思いました。
何を断ち,どんなものを捨て,何から距離をおくべきか。自分の内・外,身の回りを見渡しながら,今あるものを点検し,不要と思えるものを洗い出す。そうすることで,余分なものを断捨離し,今あるものの中から本当に大切なもの・継続していくものを見出していきたいと考えます。
ただ,引き算だけではだめなのではないかなとも思います。引く元になるものが,果たして十分なのかどうか。モノに限定するならば,引き算は有効だと思うのですが,人としてあるものが満たされているのかどうかは疑問です。
自分に今ないもの・必要なものを見直すことも必要なのではないかなと思います。無知の知という言葉があるように,まだまだ未知のことが限りなくあるように思います。学ぶべき世界には限りがなく,探究心だけは失ってはいけないように思います。
断捨離すべきものと新たに取り入れるものとの兼ね合いを考えながら,自分の人生を豊かに生きるための一歩を踏み出していきたいものです。モノにとらわれすぎず,大切なものを見失うことのない歩みでありたいものです。
さっそくのコメント,ありがとうございます。
やがては,志を持つ人々が集う梁山泊のような場ができそうですね。熱く語るとともにゆったりと息抜きのできる場所。賢治の理想郷でもあったポランの広場は,そこへ行けば明日への力がわいてくる学びの場でもありました。誰もがゆったりと心の置ける場が,いろんなところにできたらいいですね。
私にとっては,ブログもそんな場であったらと願っています。受け入れる広さと多様な価値観を受け止める幅をもちながら,その時の思いを伝えていけたらと考えています。すべての客観の根本は,主観である。この意も大切にしながら,伝えるという行為を継続していけたらと思います。これからもよろしくお願いします。
そうした場を もう少しで着工になりますからね。
成熟した社会を いつも考えます。しかし、未成熟があって成熟がある
プラスがあってマイナスがあって人間 社会と思うと 様々あってよく、全てを受け入れていく事と批判することとを持ち実直に生きたいと思いますね。このブログにあるように。 表現を追求して 今 「呼吸」「イメージ」「対応」を軸にして生きていますが、今 退職して この「断捨離」の時と感じました。