社長の謝罪と辞任・編集責任者の解任、さらには本日(9/13)付けの朝刊では天声人語と社説欄で、謝罪とこれからの新たな方針が述べられていました。
新聞社としての土台を揺るがす一連の出来事だったわけですが、潔く非を認め謝罪し、今後の報道の在り方について 『反証となる事実や異論に謙虚になるという原点』を心に刻まなけれぱならないという言葉に、新たな信頼をおきたいと思いました。
『……一番重く受け止めなければ指摘〈読者やほかのメディアからの批判〉の一つは、「自分たちの主張に都合の良いように事実を集めたのではないか」だと思います。』 これを防ぐためにも反証の事実の謙虚な受け止めと 池上氏のコメントのような異論に対する寛容な受け止めが大切なのだと社説で述べています。
天声人語の末尾では、『砕け散ったもののかけらを、時間はかかっても拾い集める。そして信頼を一から作りなおしていく。深く自省する中で、朝日新聞が言論の一翼を担っていく気構えには揺らぎがないことも、あわせてお伝えしたい。』 と述べています。
私個人の中でも、これまでたくさんの反省と失敗体験があります。その非を背負いながら痛みとして感じ続けることで、少しはまともな一歩が歩めるのではと考え 今を生きているところがあります。
個と組織では形態や論理が異なるかもしれませんが、新聞社の最前線で活躍する記者の一人ひとりにとっても、今回の騒動は改めて何をよりどころに報道にあたるかという提起になったのではないかと思います。
朝日新聞が信頼される報道機関として、組織としても その組織の主体となる個としても、確かな道を歩んでいかれることを 愛読者の一人として 改めて期待したいと思います。