タケホープの酔いどれ走遊記Ⅱ

アラカンの酔いどれランナーの実にくだらない日記
20数年ぶりのサブスリー復活を目指します。
禁酒しなきゃ無理⁉

佐賀市内観光(4)20年3月

2021年08月18日 | 佐賀県

佐嘉神社

 

佐賀の七賢人

鍋島直正公(1814~1871)

大隈重信(1838~1922)

江藤新平(1834~1874)

大木喬任(1832~1899)

佐野常民(1822~1902)

島義勇(1822~1874)

副島種臣(1828~1905)

 

佐嘉神社

 

アームストロング砲

 

150ポンドカノン砲

 

佐賀藩鋳造製150ポンド砲

わが国最初の鉄製カノン砲 復元

 佐賀藩は、寛永19年(1642)から長崎港の警備にあたってきたが、文化元年(1804)露国使節レサノフの来航、同5年(1808)イギリス軍船「フェートン号」の長崎侵入があり、長崎港の警備はそれ以来緊迫した空気につつまれた。

 鍋島直正公が10代藩主につくと、これに対処するため長崎港台場の増設と洋式大砲の設置を痛感し、嘉永3年(1850)築地(今の日新小学校)に反射炉を築き日本で最初の鉄製の鋳造に成功した。

 嘉永6年(1853)ペリーが来航すると、幕府は江戸湾防備のため品川に台場を新設し大砲を佐賀藩に注文した。そこで佐賀藩では、多布施に公儀用の反射炉を増築し(佐賀駅北口にその模型がある)安政3年(1856)までに24ポンド砲25門、36ポンド砲25門を納めた。さらに150ポンド砲3門を幕府に献上した。又当時、世界で最高の技術を要するアームストロング砲を佐賀藩では元治、慶応年間に3門鋳造することに成功している。

 この大砲は、この時品川砲台に備えられたものの一つであって、その頃のわが国科学技術の最高水準をうかがうことができる。

コメント
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