広島二中原爆慰霊碑
広島二中 現在の広島県立観音高校
形状 自然石の表面に、大きく「慰霊碑」、裏面に犠牲
となった生徒・職員の名前が刻まれている。
(高さ約1m、幅約4m)
碑文 「戦災並に原爆にて死没された、元広島二中職員
生徒352名のなつかしい名簿をこの碑の裏面に記
し永久の思い出と慰霊のよすがと致したいと思い
ます。(昭和36年8月6日 遺族一同)」
広島二中の犠牲者
被爆当時、爆心地から600m、中島新町で建物疎開作業に従事していた生徒と教員は本川河岸に整列して訓示中に被爆し、ほとんどが即死、その多くの遺骨の判別も、拾い集めもできない状況でした。
最終的には当日現場にいた1年生321名と教員4人全員が被爆で亡くなりました。
死没者の多くは、原爆が投下された1945年に入学して間もない12、13歳の少年たちであった。
六学級からなる一年生は8月6日朝、碑が立つ旧中島新町にいた。国家総動員法により、本川に架かる新大橋(現在の西平和大橋)東詰め、中島地区一体の建物疎開作業に動員されていた。整列し、引率教師の訓示が終わろうとするころ、原爆投下機エノラ・ゲイの機影が頭上にあった。
爆心地から約500m。少年たちは瞬く間に吹き飛ばされ、火の渦に襲われた。ある者はその場で息絶えた。意識を取り戻した者は、目の前の本川に飛び込んだ。
六日夕、捜しに入った母親は「水際に至るまで重なるように重傷の子供充ち、水中のイカダにもたれて叫ぶのもあり」と、光景をとどめた。
七日朝に着いた父親は「屍は既に膨張し、どれもこれも同じ様な容貌」と、焼け残りの着衣やベルトで息子を確かめるしかなかった。
中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター