(広島市商・・・広島市立商業学校。現在の広島市立広島商業高等学校)
形状
大きなみかげ石の自然石に碑文が刻まれている。(高さ2m、幅3.5m)
学校の変遷
広島市立商業学校は、戦争の末期に国策により市立造船工業学校に転換させられました。戦後、造船工業学校は廃校となり、広島市立第一商業学校を経て、1948(昭和23)年、広島市立商業高等学校になりました。
市立造船工業学校の犠牲者
被爆当時、爆心地から500m、材木町誓願時付近の建物疎開作業に出動していた1年生195人、職員5人は、作業中に気分が悪くなり病院に行った一人を除き、全員が亡くなりました。爆心地に近く、遺骨もほとんど不明、わずかに弁当箱や焼け残った衣類が落ちているだけでした。
原爆による犠牲者は、その他の動員先や登校中の者を含め、270人にのぼりました。