ブログをお休みしていた間も沢山の方がいらしてくださり、
ありがとうございました。
「あずさに乗って」を更新している途中で、母から電話があり、
あまりの驚きと悲しみでパソコンをそのままにして、
主人に駅まで送ってもらいました。
夜になって帰宅し、パソコンを開いたら記録がそのままになっていたので、
続きを書き更新したのですが。。。
母からの電話は、
「司(つかさ)が事故にあった。」という知らせでした。
私には12歳、歳の離れた妹がいます。
司は妹の子で18歳。
勉強は得意ではなかったようで、
でも、働く事が好きで、真面目に仕事に通っていたのです。
あの日もお母さんに作ってもらったお弁当を持って仕事に行く途中の出来事でした。
朝から雨が降っていました。。。
まさか。。。
私達兄弟は歳が離れすぎているせいか、
それに、仕事をしていたせいか、
なかなか会う機会がなかったのです。
とにかく、妹に会いたくて。。。
病院で会った妹は目をはらし、ただただ泣くばかり。。。
そんな妹を「お母さんでしょ!しっかりしなさい!」って
私は叱ってしまったのです。。。
暫くして、ICUにいる司に会う事が出来ました。。。
大きな青年になっていた司。
小さかった頃の面影なんてなくて、
知らない人のようにも思えました。
妹とは電話で話すことがあると、
必ず司の話が出てきて、
「司はね。」「司がね。」って楽しい話を聞かせてくれていたのです。
看護師さんは、
「聞こえていますから、いっぱい声をかけてあげてください。」って言ってくださいました。
顔も体も傷がない。
手の指と足の指にほんのかすり傷があるくらい。
でも担当医の話では、
頭の損傷が激しくて手の施しようがない。と言うのです。。。
たくましい肩をさすりながら、
大きくなった司をみていると、
泣くことしかできませんでした。
妹にはしっかりしなさい!と言っておきながら、
私だって泣くことしかできなかったのです。
翌日は主人と面会に行ってきました。
司は変わった様子もなく、落ち着いて見えました。
「後遺症が残っても生きていて欲しい。
たとえわからない状態でも、呼吸をしている司がいてくれたら、
それだけでもいい。」
そんなふうに妹は願っていました。
もちろん、私もです。
事故に遭って、四日目の朝、
司の命は消えました。。。
悲しかった。。。
文字に出来ないくらい悲しかった。。。
妹達の事を思ったら、言葉に出来ないくらい苦しかった。。。
こうして、今、パソコンに向かっているこの時も、
悲しく、苦しい。。。
司は友達がいっぱいで、
毎日、病院に駆けつけてきてくれて、
命の消えた司の傍を離れず、
大きな青年達が床を叩いて泣いた。。。
葬儀は土曜日に行われました。
主人と娘と一緒に参列しました。
朝起きたら雪が降っていました。
家を出る頃には雨に変わり、
電車を乗り継いで会場に着く頃には雨もやみ、曇り空。
たくさんのお友達が参列してくださり、
みんな声をあげて泣いていました。
忌中払いの食事中、
外を見たらお日さまが出ていました。
雪、雨、曇り、晴れ。。。
一日の流れの中で目まぐるしいお天気の変わりように不思議な感じを覚えました。
妹が司の思い出を話してくれました。
司が中学2年生の時いじめにあっていた時があったそうなのです。
いじめから救ってくれたのは安部先生でした。
あの時、安部先生が助けてくれなかったら僕は死んでいただろう。って。
(安部先生も知らせを聞いて病院にかけつけてくださいました。)
中学3年生になって、A君がいじめられていて、
その時、安部先生が司を呼んで、
「A君の気持は司、お前が一番わかるよね?
助けてやってよ!」と、言われたそうなのです。
A君はいつも司の傍を離れなくて、
司を誘う友達ともだんだん仲良くなり、
いじめも無くなったそうなのです。
A君はサッカーが上手だったそうです。
A君は今、「鹿島アントラーズ」のプロサッカー選手になったそうです。
A君から届いたアントラーズのユニホームには、
A君からのメッセージが書きこまれていました。
司にとっても自慢の友達で、
A君は、
「今の俺があるのは司のおかげ。司は恩人。」と言ってくれたそうです。
でも、もう司はいない。。。
むなしいねぇ~
でも、いい思い出をいっぱい残してくれました。
妹家族もきっと司が残してくれたあったかい思い出を味わいながら、
これからの人生を生き抜いてくれると思います。
私は小さかった頃の純朴で可愛い笑顔の司が大好きでした。
人懐こくって可愛かったなぁ~
私達家族も忘れないからね。。。
私もこうしてブログに向き合うことで、
前に進みたい!と思うようになりました。
拙いブログですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
くらり