私の好きな時間

大好きなお花達と手仕事と日々の暮らしの記録です

一羽の折り鶴に思いを込めて

2020年08月06日 | 日記

今日は75年前に広島に原爆が投下された日ですね。

 

私が深く理解できたのは、

高校生だった頃です。

 

遅過ぎるくらいですよね。

 

何がきっかけだったのかは、

はっきり覚えていないのですが、

戦争や原爆に関する本を読みあさっていました。

 

そんな私を

両親はとても心配していましたが、

当時の私は、

そんな両親をとても煩く感じていました。

 

今年、

広島にいる友人の元へ一人旅を計画していました。

 

原爆資料館も新しくオープンしたということで、

今年中には行きたい!と思っていたのですが、

この新型コロナウイルスで、

行くのを諦めました。

 

そんな時、

街の広報に

「折り鶴を折って、被爆地に献納している。」という記事を見て、

しかも、

その広報に折り鶴用の用紙が印刷されていたのです。

その時の画像を撮り忘れました。

 

そこで、

私も、折ってみました。

 

折り鶴を折ったのってなん十年振りかな?

 

幼い頃に覚えた折り鶴の折り方、

覚えているものですね。

 

この折り鶴は、

市役所に設置してある箱に投函することになっていたので、

歩く目的ができたので、

行ってみました。

 

市役所の中の通路の所に、

ありました!

 

中を覗いてみたら、

色紙で折られた鶴も沢山入っていたので、

「あらまぁ~私ももっと折ってくればよかった!」って

思いました。

 

このような企画が毎年行われていたのかどうかもわかりません。

 

通路の両側には色々なポスターや、

被爆の様子などが展示されていたのですが、

カメラNGもあり、

写したものの、夕日が差し込んで光ってしまって。。。

 

ちょっと解りずらいですが、

この文章を読んでいたら、

高校時代、友と語り合った日の事、

担任だった先生との会話、

両親と戦争や原爆について話し合ったことなどを

思い出しました。

 

 

最後に

「折り鶴」が平和のシンボルになったお話を。

 

佐々木禎子さんは、

1945年8月6日、広島で2歳で被爆し、

12歳で白血病と診断され亡くなりました。

病気の回復を願い、亡くなるまで鶴を折り続けことから、

折り鶴は平和を祈るシンボルになったんだそうです。

 

そして、

私の住む街では、

平和に関するイベントの時に、

市民の方々に折っていただいた折り鶴で千羽鶴を作成し、

平和への祈りを込めて被爆地に献納しているということです。

 

この街に住んで40年以上経つのに、

初めて知ったイベントです。

 

新型コロナウイルスの心配がなくなる日が来たら、

必ず足を運んでみたいと思っています。

その時は、

孫達を連れて行けたらいいなぁ~って思っています。

 

思いを込めて折った一羽の折り鶴。

どうか被爆地に届きますように。。。

 

 

コメント (2)
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