今日は75年前に広島に原爆が投下された日ですね。
私が深く理解できたのは、
高校生だった頃です。
遅過ぎるくらいですよね。
何がきっかけだったのかは、
はっきり覚えていないのですが、
戦争や原爆に関する本を読みあさっていました。
そんな私を
両親はとても心配していましたが、
当時の私は、
そんな両親をとても煩く感じていました。
今年、
広島にいる友人の元へ一人旅を計画していました。
原爆資料館も新しくオープンしたということで、
今年中には行きたい!と思っていたのですが、
この新型コロナウイルスで、
行くのを諦めました。
そんな時、
街の広報に
「折り鶴を折って、被爆地に献納している。」という記事を見て、
しかも、
その広報に折り鶴用の用紙が印刷されていたのです。
その時の画像を撮り忘れました。
そこで、
私も、折ってみました。
折り鶴を折ったのってなん十年振りかな?
幼い頃に覚えた折り鶴の折り方、
覚えているものですね。
この折り鶴は、
市役所に設置してある箱に投函することになっていたので、
歩く目的ができたので、
行ってみました。
市役所の中の通路の所に、
ありました!
中を覗いてみたら、
色紙で折られた鶴も沢山入っていたので、
「あらまぁ~私ももっと折ってくればよかった!」って
思いました。
このような企画が毎年行われていたのかどうかもわかりません。
通路の両側には色々なポスターや、
被爆の様子などが展示されていたのですが、
カメラNGもあり、
写したものの、夕日が差し込んで光ってしまって。。。
ちょっと解りずらいですが、
この文章を読んでいたら、
高校時代、友と語り合った日の事、
担任だった先生との会話、
両親と戦争や原爆について話し合ったことなどを
思い出しました。
最後に
「折り鶴」が平和のシンボルになったお話を。
佐々木禎子さんは、
1945年8月6日、広島で2歳で被爆し、
12歳で白血病と診断され亡くなりました。
病気の回復を願い、亡くなるまで鶴を折り続けことから、
折り鶴は平和を祈るシンボルになったんだそうです。
そして、
私の住む街では、
平和に関するイベントの時に、
市民の方々に折っていただいた折り鶴で千羽鶴を作成し、
平和への祈りを込めて被爆地に献納しているということです。
この街に住んで40年以上経つのに、
初めて知ったイベントです。
新型コロナウイルスの心配がなくなる日が来たら、
必ず足を運んでみたいと思っています。
その時は、
孫達を連れて行けたらいいなぁ~って思っています。
思いを込めて折った一羽の折り鶴。
どうか被爆地に届きますように。。。