どうも、自分は『令和の時代の価値観』とズレがあるようです。
何の話かと言うと、現在、週刊文春がドカン、ドカンと2発もぶち上げた「有名人のW不倫話」の件。基本的には、他人の色恋沙汰ですから、あまり興味はないのですが、民放ニュースを見ても15分置きにこの話題が出てくるし、ネットニュースを見ても、毎日出てくるので、否が応でも目に入ってきてしまう。
まぁ、元スーパーアイドルで、今は実力派女優となったH女史と、ミシュランで星が付くほど有名なレストランオーナーシェフT氏が逢瀬を重ねていたというニュース。そして、両者とも事実を認めたという話。
報道されているのは、両方とも家庭があって、配偶者も子供もいるのに、それでいて逢瀬を重ねるというのは、外形的に『不倫』に該当するので、極めてけしからん!という論調。なるほど、日本国民というのは、「結婚制度」を厳格に守ることこそが、人々の幸せを維持するものと固く信じているのですね。
でもね・・
もし、双方の夫婦関係が実質的に破綻していて、離婚秒読みの状況であったとしたら? あるいは、諸事情によって、破綻した夫婦関係のまま、どうしても離婚できない状態だったとしたら?
そんな男女による色恋を全面的に否定できるものなのでしょうか?
昭和の時代だったら、もっと古くからの「家」制度に縛られて、特に女性から自由に生きる権利を奪うケースが散見されていました。瀬戸内寂聴さんの事例を持ち出すまでもなく、あの頃の「不倫関係」とは、家に縛られた女性が、自由に生きるために、古い因習から必死に逃れるための術でありました。それが、平成、令和と時代が新たになるにつれ、女性の経済力が強くなって、より自由に生きる力を保持できるようになり、色恋についても自由を謳歌出来る時代になりました。にもかかわらず、令和の世論は「自由な生き方」よりも「結婚制度の厳格な順守」を求めている! ワタクシには大きな矛盾に思えるのですが・・
現在までの報道を見る限り、H女史と配偶者の関係はすでに破綻しており、H女史は、CMの契約違反への賠償金や、配偶者への慰謝料も支払う覚悟で、この色恋に突っ走った感があります。もし、そうだとすると、これはこれで、自らの気持ちに正直な生き方を貫いているとも言えます。
一方のT氏の方は、今の妻と子供に対して、きちんと償いをしたいと言っているので、こちらは、出来れば家庭を壊したくない意思が見えてきます。そうなると、T氏にとっての本件は、まだ「火遊び」レベルだったように思えます。
ひょっとすると、H女史は、もっともっと関係を発展させて、T氏を奪い取ろうとしていたのかもしれません。そのくらい真剣な色恋だったということ。その途上の段階で、文春砲が火を噴いたということなのでしょう。
ちなみに、昭和の時代だったら、こんな色恋については、皆が大目に見て静観しておりました。なぜなら、結果的に、そのまま幸せな共同生活を送るようになる事例が多かったから。先般亡くなった坂本龍一氏と矢野顕子女史だって、もともとは「不倫関係」からスタート。明石家さんま氏と大竹しのぶ女史も同様ですし、野田秀樹氏と大竹しのぶ女史も同じ。真剣な色恋というのは、どんな状況からもスタートしてしまうのでありますから、外形的に「不倫」だから、すべて悪という論調は、いくら令和のコンプライアンスだとは言え、いかがなものでしょうか。
それとも、冒頭に申し上げたとおり、自分の価値観と『令和の時代の価値観』がズレているということなのでしょうか。そうだとすると、生きづらい世の中になってしまったということ。
外形的な理由だけで『完全悪』などというものは規定できないというだけなんですけどね・・