アメリカで、またもや暗殺未遂事件が発生しました。
9月15日に米国フロリダ州のゴルフ場で、プレー中のトランプ氏を狙撃しようと近くに潜伏していたライアン・ラウス被告(既に逮捕)をシークレットサービスが目撃、銃を発砲した上で身柄を確保。捜査に当たっているFBIは「暗殺未遂」との見方を示しているとのこと。
報道によると、ライアン・ラウス被告はもともと民主党支持者でありましたが、8年前の大統領選ではトランプ氏に投票。その後、ウクライナへの対応方針などを理由に、あらためてトランプ氏を批判する側に転じて、今回の事件を起こしたらしい。
暴力によって民主主義の根幹である選挙そのものを妨害することはもちろんですが、何よりも人の生命を奪おうとすることは絶対に許されない行為であることは言うまでもありません。それにしても、このようにトランプ氏を狙った狙撃事件、暗殺未遂事件がたて続けに発生してしまうこと自体、アメリカの民主主義が相当に危うい状況に陥っていることを示していると思います。
この背景には、アメリカ社会の深刻な分断があります。
「青と赤の分断」と言われる、民主党支持者と共和党支持者の分断はむしろ表面的なもの。より深刻なのは、富の偏在による社会全体の分断であります。
古き良き時代のアメリカ資本主義社会では、真面目に働き、時には国家のために勇敢に戦う市民たちが、みな豊かで安定的な生活を享受できる「良心」が基盤の市民社会でした。それが1990年代からの資本効率化の流れと、2000年以降のIT全盛時代を迎えて、アメリカの経済は「雇用を生み出すモノづくりの経済」から「富裕層と投資家だけを潤わせるIT経済」へと変貌。その結果、アメリカ社会の強みだった「良心に溢れた分厚い中間層」が隅っこに追いやられる一方、富裕層・エリート層が負うべき「ノブレスオブリュージュ」が消失していきます。
そこに8年前、この状況を選挙に利用し国家的分断を促して、大統領の座に就いたのがトランプ氏。今回の選挙でも、引き続き「国家的分断」を強烈に利用しながらの選挙戦を展開しています。
皮肉なことに、その国家的分断により「ライバルを徹底的暴力的に否定する戦い方」が、こうしたテロ行為を生んでいるようにも見えます。
ところで、日本でも安倍元首相の狙撃暗殺事件が起きたように、こうしたテロ事件は対岸の火事ではありません。そして学ぶべき教訓は、互いに相手のすべてを徹底否定するような選挙戦を展開することは危険だということ。しっかりした「国家論」「政策論」などの討論による選挙戦を期待したいところです。
現在のところ、自民党総裁選は9名の候補者が乱立していることから、「討論」というよりは「各自の主張を言い放つ」だけの選挙戦になっています。一方の立憲民主党の党首選は、4名という丁度良い人数ながら、あまり「対峙する論点」はなくて、むしろ「どういう組み合わせだったら次の総選挙で闘えるのか?」というテーマを模索している作業に見えます。正直両陣営ともに、解散総選挙が近いというのに、有権者に対して「新たな判断材料」を提供することよりも、相変わらず「イメージ戦略」を優先しているように思えます。
アメリカのように国家分断が深刻化する前に、両陣営にはぜひ「国民の生命と財産を守る」という国の基本命題に立ち返る議論をお願いしたいと思います。