8月7日(日)に仏の芝1300mのモーリスドゲスト賞(GⅠ)にキングエルメスが、そして14日(日)には同じく仏の芝1600mのジャックルマロワ賞(GⅠ)にはバスラットレオンが出走いたします。
このレース、古い競馬ファンには忘れられないレースでありまして、1998年に、日本調教馬が初めて海外GⅠを勝ったのが、この両レース。実は、ジャックルマロワ賞のタイキシャトルの方が、絶対的な本命として日本国内では大騒ぎで期待されていたところ、その1週間前に、伏兵扱いだった武豊騎手鞍上のシーキングザパールが、まさかのモーリスドゲスト賞を勝利。日本調教馬初の栄誉は、タイキシャトルではなく、シーキングザパールと武豊騎手がトンビのようにさらっていったのです。とは言っても、タイキシャトルの実績に傷がつくものではなく、この2頭は、日本競馬の金字塔と言える大偉業を成し遂げたのでありました。
ちなみに、日本経済は1989年の株価暴落と、その後に発生した不動産価格の急落の影響を受けて、1992年をピークに下降へ向かいます。そして、JRAの馬券売上げも、1998年の4兆円超をピークに、ここから下降していくタイミングでした。
どの国の事例でも同じですが、世界のNO.1まで上り詰めた国は、まず経済においてピークをつけて、それから5年から10年の遅れで、文化や芸術でのピークを迎えます。日本競馬も同じでした。
バブルで稼いだ外貨のおかげで、良血の外国産馬を数多く購入して、日本競馬の質を高める。併せて、調教設備や調教技術にもお金をかけて欧米に追い付いていく。こうして、念願の海外GⅠを勝ったシーキングザパール、タイキシャトル、そして翌年にはエルコンドルパサーがサンクルー大賞を勝ち、凱旋門賞で惜しい2着を実現しますが、この3頭はすべて外国産馬でありました。
今思うと、日本競馬が最初に、世界最高レベルに近づいた瞬間でした。
今年、キングエルメスとバスラットレオンが、あの時と同じ海外GⅠに挑戦いたしますが、つい24年前の興奮を思い出してしまいます。
日本競馬は、このあと、あのサンデーサイレンスの爆発的な遺伝力をもって、さらに世界最高レベルに迫っていく『第二幕』の時期を迎えるのですが、そのあたりの昔話は、またの機会にお話することにしましょう。