前回お話したとおり、自分の死生観はシンプルで、「①どうせいつかは死ぬのだから、今を全力で走り、いつ死んでも後悔はない」「②ただし、嫁の生活保障と子供の教育資金の確保ができるまでは絶対に死ねない」「③両親が亡くなるまでは絶対に死ねない」の3つ。
最初の、①どうせいつかは死ぬのだから‥は、35歳の時、職場が煮詰まっているときに飛行機に揺られながら、突然芽生えた感覚でしたが、それ以来、気持ちの割り切りが早くなりました。
7年前には、息子が大学を卒業して就職、我が家から独立して出ていき、また、企業年金の受給権も確保して、現在の貯えを考えると、嫁の老後の生活保障もほぼ確保できるレベルになってきました。すなわち、②の死生観の第1の停止条件がクリアできましたので、これにより、肩の荷が軽くなるというか、自由になるというか、今を一所懸命に生きるということに、より集中できるようになりました。
そして、4年前に父親が亡くなり、先週、母も老衰による大往生を遂げました。ついに、③の停止条件もなくなりました。これで、自分の死生観は「どうせいつかは死ぬのだから、今を全力で走り、いつ死んでも後悔はない」だけになりました。もう、こうなると怖いものはありません。
と思いきや、私の脚の周りに、ウロウロと毛を付けて回っている猫がおります。
そうだ! もなか姫がいる。もなか姫を一人にする訳にはいかない。もなかを看取ってからでないと絶対に死ねない。う~ん、人間は、悟りそうになった瞬間に、シガラミというか、まとわりついてくるものが、必ず出てきますね。
愛なのか、煩悩なのか、猫なのか!