8月2日にミスタープロレスこと、ハーリー・レイス氏が亡くなりました。76歳でした。
70年代、アメリカだけでなく、日本でもプロレス人気は凄まじく、日本テレビ系列で全日本プロレス、テレビ朝日系列では新日本プロレス、テレビ東京系では国際プロレスと、地上波が3つもゴールデンタイム枠をプロレスに使っていました。ハーリー・レイスはNWA世界ヘビー級チャンピオンとして長年プロレス界を牽引したスーパースターですが、特にジャイアント馬場率いる全日本プロレスに登場する機会が多く、大変な人気レスラーでした。もちろん、新日本のアントニオ猪木との交流もあって、実はこの二人はアメリカのデビュー戦で対戦した間柄で、非常に親しい関係だったようです。
ハーリー・レイスのプロレスは、まさに横綱のプロレスでした。相手の得意技に対して、逃げることなく、すべてを受けきるスタイル。猪木のバックドロップを食らっても、馬場の32文キックを食らっても、カウント2.5で、必ず左肩を上げて「セーフ」。そして60分を闘い切って、最後に相手をフォールするか、あるいは両者リングアウトで引き分け。
NWAチャンピオンというのは、全米各地の地域チャンピオンと闘って、地元で人気の彼らの名誉を傷つけることなく、しかもタイトルは譲らない闘い方をしないといけない立場です。その意味で、相手の技をすべて受けきる、そして負けないというスタイルは、まさにプロレスの王道であり、ミスタープロレスと評された所以です。
ただし、ハーリー・レイスのことで、私が唯一理解できないのが彼のニックネームでした。彼に付けられたニックネームは「美獣」。東京スポーツの見出しでも「美獣勝つ!」とか、書かれていましたが、どう見ても、ただのオッサンレスラーでしたので、なんで「美獣」だったのでしょうか? 永遠の謎です。