垣に赤い花咲くを、柿に赤い花咲くと思っていた。子供の頃、柿に赤い花って変だと思い、確か小学校の担任(聞いた相手は定かでない、母かもしれない)に聞いたら、あれは熟した柿の実が赤く見えるからそう唱ったのだと教えられ、ずっとそう思ってきた。そしてそれは、いつかのあの家(祖父母の家)に実に見事に写るのだ。今更、夢に帰る思い違いを正す気はしない。
母の生家は単線電車で30分ほどの田舎で、子供の頃はまだ祖母がまだ生きていた。小学校の頃は時々週末、一人で電車に乗って従兄弟達の居る祖母の家に行ったものだ。駅から子供の足で20分くらいの田んぼの中にある大きな田舎家で、秋には庭の柿の木に赤い実が一杯成って、青い秋空の下で私を待っていた。
済んだ秋の空気に赤い柿の実は遠くから視認しやすく、束ねられた稲の黄色に映えて美しい。日本の秋の懐かしい原風景の一つだ。
母の生家は単線電車で30分ほどの田舎で、子供の頃はまだ祖母がまだ生きていた。小学校の頃は時々週末、一人で電車に乗って従兄弟達の居る祖母の家に行ったものだ。駅から子供の足で20分くらいの田んぼの中にある大きな田舎家で、秋には庭の柿の木に赤い実が一杯成って、青い秋空の下で私を待っていた。
済んだ秋の空気に赤い柿の実は遠くから視認しやすく、束ねられた稲の黄色に映えて美しい。日本の秋の懐かしい原風景の一つだ。