駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

言わずもがな

2009年07月22日 | 世の中
 力のない時の総理を虚仮にするのが建設的とも思えないが、祖父の馬鹿野郎解散に対比して馬鹿太郎解散と陰口を叩かれているのではないか。
 今月号の文藝春秋で兄貴はずるい人間で己の利を計るように立ち回るなどと聞きづらい発言をしている自称白い鳩が、選挙後の政界再編の腹づもりを匂わせているが、そうした国民の信を経ない離合集散は仮設のもので正規の党とは認められない。
 小選挙区制の意義は政権交代により権力の腐敗を防ぎ、その時点でよりましな党を国民の手によって選択するところにある。理想を十歩いや百歩譲って二者択一に集約するのが政治というものだ理解している(勿論、少数意見を無視してよいと言うわけではない)。個々の人の意見は異見で、それぞれを実現することは不可能だ。実現させるとしたら全ての他者を黙らせ自分が独裁者になるしかあるまい。
 最近の政治家は小粒で能力胆力が劣ると嘆いても、実は政治家の程度は国民の程度を反映している。政治家は国民が育てるということを思い起こしたい。小泉批判を口にするのは容易だが、彼に力を与えた人は共同責任があるのを忘れず、自らをも総括する(懐かしい言葉)必要があるだろう。
 四十日は長く、十分にマニフェストをためすすがめつする時間がある。独自のマニフェストでございますと絵に描いた餅を持ち出す候補者には木の葉の投票用紙をあげよう。キャッチフレーズは目くらましの包装紙だ。なぜどうしてと掘り下げて自分の頭で分析したい。今、時代を読み人を見る力量を問われているのは国民の側だ。
コメント
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