駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

受験戦争の残滓

2009年07月02日 | 小験
 今でも年に一回、新知見の知識を問う試験を受けるが落とそうとする試験ではなく、専門医の資格に値するかなという認定試験で、一定の点が取れれば良いのでプレッシァはない。まあ医者になるのは概ね試験が得意な連中が多いから、試験から遠ざかっていても試験感覚を残している人は多い。
 ほぼ月一回、市内の勤務医開業医が集まり、胃腸疾患の勉強会をしている。年に数回は練達の専門医を呼んで、講義を受ける。実際に診療を行っている医師でも、非典型症例の診断は微妙で難しく、ああなるほどと勉強になることが多い。
 講師の先生は問題形式が好きでこれは何でしょうと、受講者の医師に聞きながら講義を進める。
 食道透視の写真が示され、これは何でしょうと当てられた市立病院の若手医師は、「アカラシアのように見えますが、先生が問題に出されるんだから違いますね。硬い線があるようなので噴門部癌ですか」。「えっ、どのあたりですか」。「えーっと、この線ですね」。講師は「そんな問題に出したからなんて、駄目ですよ」。とあきれながら「これは典型的なアカラシアでしょう」。と苦笑い。
 どうも問題作成者の心理を読んだり、問題の傾向や正解の番号を推定したりと試験試験の名残りがある。「あ。なんだ」と頭を掻く、みなで大笑い。
 臨床最前線では多種多様な患者さんが無差別に押し寄せるので、試験テクニックは役に立たない。知識と経験を総動員して虚心坦懐に当たるのが最善。細心の注意を払っても、疲労や雑音から落とし穴に落ちることがあり、満点はなかなか取れない。
コメント
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