夏に向けて東京電力の電力不足が懸念されている。収入が少なければ支出を減らすのが鉄則だ。しかし、妻の一声で、旦那の小遣いを減らすような安易な方策は身も心も貧しくするだけだ。視点を変えて、問題に取り組めば活路は開ける、否取り組んで活路を開かなければ、光差す明日はない。
玉石混交の識者も指摘しているように、東日本大震災は、日本社会の仕組みを考え直す試練だと思っている。もっと大きく、人類に課せられた試練と捉えることもできるだろう。末世に現れるという菩薩が大きな籠を空から吊り下げ、必要な物だけを入れよとお告げになったら、我々は一体何を入れれば良いのだろう。降り止まぬ放射能に現代のノアは何を集めて箱船に乗せれば良いのだろう。
突き詰めて考えてゆけば、美談では終わらない。ボランティアでは息が切れる。不要不急の物事も、それで生きている人には死活の問題、廃止には必ず猛烈な抵抗がある。六無齋でさえも死にたくも無しと嘯くのだから、まして家族ある身は目の色を変えて飯の種を守ろうとするだろう。誰にも最低限の生活を保障しようとする社会の中では、不要の物事を白日の下で智慧を絞り、穏やかで強靱な合意の元で無しで済ます仕組みに変えてゆかねばならない。これは至難のことで、優れたリーダーなくしては不可能と思う。
具体的に二つのことを思い付いた。地上波テレビは二波で十分、最大でも三波でよい。テレビで生きている人達は目端の利く人多彩多才の人が多いので、インターネットや地域の広報など再就職の道も広いだろう。大資本から自由になった放送人は透明性の高い、より公共性の高い地域に結びついた情報を発信して、一石二鳥になるかもしれない。
もう一つは安全を安請け合いさせないことだ。二言目には安全という評論家や学者には家族ぐるみで問題ないと仰せられる衣食住を実践してもらうことだ。老い先短い人の安全パーフォースなど誰が信じようか。もし原発を新設するなら電力会社の住宅村を周りに建設し、重役の家族も住んでもらうことだ。
私は原発推進派ではないが、事故で突然針が反対側へ振り切れてしまうような思考や行動は危険だと思っている。世の中に絶対はない、それは神話の思考停止に過ぎない。唯一の絶対を忘れず、より安全を目指すのが智慧ある人間の仕事でしょう。