駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

言葉の命脈

2011年04月14日 | 町医者診言

 真摯とはどういう意味だったかわからなくなった。どうもお役所用語の検討すると同じ、つまりお話はきちんと承りましたと言う意味らしい。折角の心の奥から出た誠意を表す言葉も、政治家によって手垢を付けられ風化してゆく。やがて本来の意味は失われ、うるさい質問をはねのける言葉として、不本意な命脈を保ってゆくことになるのだろう。

 責任を追及するな、それは建設的でないとかわし、結果は真摯に受け取っているとかわすのではいつまで経っても前進がなく、それこそ建設的でない。

 この頃つくづく思うのだが、医療界では他の多くの業界よりも格段に透明で誠実な対応がされている。勿論、医師にまともな人が多い?と言うこともあるかも知れないが、実際には医療行為は透明性が高いことと訴訟を警戒することの二つが効いている。こうしたことで浄化が実現されるのは本筋ではないかも知れないが、人間界では効果が大きい。

 実効ある建設的な前進のため、なんとかして政治界の透明性を高めたい。どうすればよいものか?。残念ながら医療ミスは訴えられても、政治ミスはなかなか訴えにくく、裁判所も韜晦しそうな気配がある。

 即効性の名案はないが、国民の一票の結果を真摯に受け止めるなどとお茶を濁させてはならんことは確かだ。初回に失投で3点取られ、4回裏に連続三本の長短打を浴びて4点を失い、監督が降板を告げているのに何時までも投げているピッチャーが居るだろうか。

コメント
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