駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

隣は何をする人ぞ

2015年03月20日 | 身辺記

                  

 電車通勤といっても乗車時間はたかだか十四、五分、二つの駅を挟むだけだ。最初から座れるのは五回に一回くらいあるかどうか。途中で座れるのを入れれば二回に一回は座れる。勿論、嗅覚を働かせ、降りそうな人の前に立つようにしている、高校生の校章を見分けるのだから、我ながら少々やりすぎかなとも思う。

 ご存じのように座っていて目の開いている人は八割方携帯を弄くっている。若い人だけでなく白髪から禿頭まで例外なしだ。あとは所在なげに周りを見ているか、雑誌や折りたたんだ新聞を読んでいる。座っている人の一二割がうたた寝をしている。不思議なのは、寝ている人は必ず降りる駅になると目を覚ましさっと降りてゆくことだ。何で着いたと分かるノだろうか。車掌のアナウンスが聞こえる?、電車の揺れや動きで気が付く?それとも眠った時間の長さで分かるのだろうか。

 今朝は運良くというか滑り込んで座ったのだが、隣の席の五十代と思しきおっさんはぐっすり眠っていた。地味な背広を着たいかにも会社員風の人で私の様なこの人何者といった感じではない。それでもふと一体何をする人だろうと思った。課長か部長か事務か営業か、ひょっとしてお役人かな。車掌の次の停車駅のアナウンスがあり、電車が速度を落とすと、ぱっと目を覚まし何の逡巡もなく立ち上がりドアの方へ移動していった。

 電車に乗る時並ぶ人は半数以上いつも見る人なのだが、乗り合わせる人は見覚えのない方が多い。今日は出掛けるため、鞄を持っておらず、読む本がなく、周りを見るともなく見て勝手な想像を巡らした。

コメント
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