駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

養子と寄付、文化の違いだろうか

2016年05月09日 | 町医者診言

       

 本格的な連休明けだが、お天気はもう一つで仕事稼働へのギヤが気持ちよく入るかどうか、今朝の通勤電車はさほど混んでおらず、お疲れの方も多い様子だった。

 日本には養子を育てる習慣や寄付をする習慣が乏しいように感じる。勿論、ないというわけではなく、お子さんに恵まれなかった方が養子を取られることはある。唯、何らかの血縁があることが多いようだ。寄付は災害などに対しては比較的若い年齢層を中心にかなり集まるようだが、財産家が多額をぽんと出すというのは少ないようで話題になったりする。

 系統的に調査したわけではなく、周りを見渡しての感覚で書いているが、大きく外れてはいないだろう。子供に恵まれず妹の子供を養子にしたら、子供が出来たので返したなどという例を知っている。大地主で駐車場を十数個持っている某氏などは細かい寄付要請がたかりのようにあちこちからあり、またかとうんざりしている様子だ。

 アメリカなどでは実子が何人もあるのに、恵まれない子供を(肌の色の違う子供も)養子に迎えている家庭がある。病院などでは、何百床の病棟を寄付する人が居て、病棟に安陪とか岡田とか寄付者の名前が付いていたりする。

 世間の目や税制の違いが一つの理由だろうが、何かもっと根深い理由があるような気もする。学問的系統的な分析は出来ないが、世の中にはもっと「大きなお世話だ」という泰然自若とした拒絶があってよいと思う。そうすると養子や寄付が増えるというのは飛躍しすぎかも知れないが、根底では何か関係がある精神のありように思う。 

コメント
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