駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

臨月と見紛う爺さん

2017年09月13日 | 医療

 

 医者をしているとどうしてとあきれるというかがっかりすることが時々ある。何故もっと早く医者に来ないのかと口から出かかる、出てしまうこともある。そうした患者さんには自ら編み出した理屈があるようだ。たいしたことではないあるいはそのうち良くなると思ったというのと医者に行くのが恐かったというのがしばしば聞かされる理屈だ。

 先日も後期高齢者に仲間入りしたばかりの爺さんが苦しそうにゆっくり歩きながら診察室に入ってきた。顔色が青白く痩せているのに下腹がぽこりと出ている。話を聞く前からははあと分かったのだが、この頃小便が出ない思わぬ時に漏れ出て困るという。聞きただすと二年くらい前から尿の回数が多かったのだがだんだん出にくくなり、二週間ほど前から尿意を催してトイレに行っても出なくなった、何かの拍子に漏れ出て困る。下腹が張って苦しいという。便も出にくいという。寝かせると痩せているので下腹が西瓜を入れているように腫れている。軽く叩くと西瓜のような音がする。尿閉なのだ。

 早速ネラトンで導尿してやる。先生1400ml出ました。看護師が報告してくれ、生き返ったように楽になったと爺さんがお礼に来た。しかし、この症例は一件落着大団円とはゆかないのではと思った。放置しすぎで顔色が悪い。後日泌尿器科に送ったのだが、悪い予想が当たり、腎後性腎不全が非可逆的に進行していた。

 こうした症例とは逆に医者に来過ぎる患者さんもおられる。女性に多いのだがそれについては今日は書かない。

 中には自分の命俺の好きにすると、威張ったりする?人も時に居られるが、痛い苦しいで真っ先に悲鳴を上げられるのはあなたのような気がします。それに命は自分だけのものではないように思いますとも申し上げたい。

コメント
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