憂さを癒すために酒を飲むことは殆んどない。運よく凄く嫌なことは滅多にないし、晩酌の習慣もない。
最近、何か嫌なことがあった時はケーキを買ってきて家内と一緒に食べるようになった。人間年を取ると丸くなるというのは半ば真実だが、逆に角が出てくるところもある。温厚篤実なG氏が亡くなってから、時々山小屋行きの友人達でごたごたすることがあるようになった。要するに我が出て棘のある言葉が行き交うのだ。なんとなくまとめ役の私は、やれやれと思うことがある。
家の近く、車で五分くらいのところに、ケーキ屋が三つある。Aはいかついおやじが一人で切り盛りしている店で、女房はひげ親父と呼んでいるのだが、外見と異なり洗練された味で飛び切り美味しい。Bは伊達男と女子三人のこじゃれた店だ。若い女子二人が売り子でアラサーの女子一人は主人と一緒にケーキ作りをしている。ケーキの見た目はこの店が一番で美しい。舌触りはスムースなのだがどれも似た味になってしまっており、私的には贈り物用だ。Cは古い店で家族経営で娘か奥さんが店番をし作り手のご主人は顔を見せない。僅かに廉価で素朴なしっかりした味わいで手ごたえのあるおいしさだ。
そうしたわけでAかCのケーキを買ってくることが多い。なぜケーキを食べると心の澱がとれる感じがするのかよく分からないが、心地よく甘いからではないかと思う。