年を取って耳が遠くなり、普通の会話の声は聞き取れなくなったお爺さんがおられる。補聴器は眼鏡ほどには補正力はなく、お爺さんは買ってもらった高価な補聴器を結局は付けたがらず、通信困難了解度不良の家庭内孤島に置き去りになってしまう。理解度は保たれているのに、了解度が悪いために頓珍漢な返事をしてしまう。おまけに作話や幻想が混じるために、家族特に息子は父親は呆けたと相手にしなくなる。もう何年も帰っていない育った街に先月帰って懐かしかったと医師に話す父親の後ろで息子はバツ印を出す。連れてくるのが手間なので、できるだけ長く薬を出してくれと言う息子に明日は我が身なんだがと思う。
気心が知れたら少しづつ時々は難聴で昔の記憶の中に生きている親の話を聞いたらどうかと話してみたい。耳元で話せば、ちゃんと通じるのだから。
孤立させたら 私も寂しいのです 夫婦二人ですもの
高価な補聴器を昨日から使い始めました
病院でのDrへのトンチンカンなコミュニケーションがそうさせるのでしょう
趣味の友達に健康自慢の人が いました。生まれてから病院にかかったことがありません。80歳過ぎても老眼にもならず細かい字を読んでは自慢をしていました。
その人は83歳の頃、耳が少し遠くなりました。だんだんひどくなり、話しかけても会話が出来ないので、皆、敬遠するようになりました。行き着くところは認知症です。200歳まで生きるのではないかと思われたその人は87歳で亡くなりました。難聴って怖いですね。