駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

先へ送れるもの

2014年07月26日 | 小考

                   

 今朝も朝から暑く、駅への道すがら校庭では蝉が鳴き始めていた。まだ時期が早いのか、さほどの勢いはなく、耳をつんざく程の音量ではなかった。蝉にも当たり年があるようなので、今年は孵化が少ない年なのかもしれない。

 物事を成すには先憂後楽が理想的なのだろうが、患者さん相手の仕事で休暇を取る場合は中々そうも行かない。この三日間は平常の五割増しの患者数で、時差惚けのある身体には中々きつかった。それでも自分の作った負債だから返さねばならない。

 一億円程の開院時の借金も、今から思えばかなりの利子であったが耳を揃えて返済した。こうした自分で面倒を見ることの出来る負債は良いのだが、次世代への先送りや積み残しには十分な配慮が必要だと思う。可愛い子供達のためなどという、時に異論を封じ込めるために使われる枕詞に惑わされることなく、自分の負債と同じように、否それ以上の深謀遠慮をしてやりたい。

 フィンランドを旅して、フィンランドの歴史から学ぶことが多々あるような気がした。ムーミンも実は一見のキャラクター的印象とは違うようだ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十聞は一見に如かず

2014年07月25日 | 小考

                 

 百聞は一見に如かずと言う。あんまり知らない国に行った場合は十聞は一見に如かずとでも言えばよいのか、フィンランドはムーミンと森と湖の国くらいしか知らなかったのだが、行って驚いた。夏とは言え、まさか北緯六十度が暑いとは予想外で、まあ日本の五月くらいのものだろうと思って長袖シャツに薄手の背広で行ったのだが日中は暑くて往生した。

 フィンランドは豊かな国のようだ。高速道路は無料で完備されており、嬉しいことに車が少ない。緑の森の中をまっしぐらに走ることが出来る。

 高速道路を外れても80kmのスピードで走ることの出来る舗装道路が整備されており、レンタカーで走り回るのにもってこいの国だ。ただ、困ったことに道路脇の店が少ない。小腹が空いた時に、すぐ軽食堂やドライブインが見付かるわけではない。それも道理でこの交通量では店を開いても閑古鳥だろう。

 たった四日間でフィンランド人が気に入ったなどというのは言い過ぎだろうが、親切で控えめで私には住みやすそうに感じた。明らかに地元の人が殆どというホテルにも泊まったのだが、朝食の時、微かに食器がふれあう音がするだけで、話し声が殆どしない。時々小声で言葉を交わすだけで黙々と食べている。

 他人に無関心というわけではなくちゃんと見ており、G氏がコーヒーの出し方が分からずまごついていると、さっと席を立ってきて手振りで教えてくれたそうだ。「ちゃんと見ているんだ。親切だなあ」と感心していた。

 こうした親切は何度も経験した。日本人など滅多に行かないだろう田舎の公園のフリーマーケットで用を足したくなり、公衆トイレの開かないドアを押したり引いたりしていたら、さっとおばさんが寄ってきて、隣の店で小銭を払うと開けてくれると教えてくれた。彼女はまるで出過ぎたことをしたとでもいうように、礼をいう間も与えずさっと身を翻して行ってしまった。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何よりの休養

2014年07月24日 | 

                

 僅か四日間であるが言葉の分からない国、日本のニュースが届かない国に行ってきた。何よりの休養になった。

 日本は人を疲れさせる雑音の多い国だったのに、今更ながら気付かされた。

 山のように書類書きが溜まっていても、旅行に行って良かったと思う。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

汗をかく人かかない人

2014年07月18日 | 世の中

               

 夏が来て暑くなると、仕事上嬉しくないことが起きる。この頃の若い医師は、あんまり患者の触診をしないらしいが、「ほらこうやって」と教授自ら手に手を重ねて教えて貰った触診技術を生かさないのは申し訳なく、欠かさず触診をしている。

 二十年ほど前のことだが、飯が不味いという爺さんの上腹部を触れたところ、指に微妙なしこりを触れた。総合病院の消化器外科に胃を調べて貰うように送った。胃がんで手術をすることになり、爺さんはお礼に寄ってくれたのだが、外科部長は本当に触っただけかと何度も尋ね、首を捻っていたそうである。触っただけで分かるはずがないと思ったらしい。彼は私より四、五歳若いだけだが、カメラや超音波といった機器を主体に診療していたのだろう。まあ、これはたまたま爺さんの腹部が触診しやすかったという幸運によるものだが、年に二、三人は触診で病気を見つけられる。

 そうした触診だが夏になると、汗を掻く人が多く、あんまり感じがよくない。ハンカチで拭いて貰ったりするのだが、所謂汗っかきの人はそれでは間に合わない。不思議なことに汗を掻く度合いには個人差がある。内緒の話だが、深窓の麗人には汗を掻かない人が多い。涼しげな風情は、見た目だけではないのだ。逆にちょいデブおばさんの中には皺やくぼみに汗が溜まっている方もおられ、誠に嬉しくない。

 どういうわけか国会では汗をかくことを自ら地道に仕事をするという意味に使うようだ。鈍くさい表現だと思う。私はこんなに働いていると動き回る人が必ずしも、適切な仕事をしているとは限らない。試験が迫るとそれ大変と過去問やノートをかき集めて騒ぐMよりも、にっこり涼しげなUの方がうんと成績が良かった。またMが騒ぎ出したと言いながら、その警報のおかげで留年せずに済んだ一人なので、汗をかく効用を認めるにやぶさかではないが。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

泣くな柿谷、結果を出すことだ

2014年07月17日 | スポーツ

               

  柿谷がJリーグ最後の出場試合の後、頑張れのエールを受けて涙が止まらなかったようだ。点を取れず負けにした不甲斐ない自分にスイスで頑張れとの暖かい声援に、涙が止まらなかったのだろう。とてもよく分かる、私も同じ立場だったら泣いたような気がする。

 それでも泣くなと言いたい。泣いたらあかん。柿谷、泣くと人間はそこで止まってしまう。実力が目に見え評価に直結する厳しい世界を背筋を伸ばして前へ進む人間は眼から水滴は落としても泣かない。

 光陰矢の如し、サッカーの選手寿命は短い。泣く前にすることが山ほどある、泣いている暇はないのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする